ピコ太郎(53)が3日、TBS系「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(午後9時)に出演し世界的にヒットした「PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)」誕生秘話を明かした。

 スタジオに登場したピコ太郎がプロデューサーの古坂大魔王(43)を代弁する形で番組が進行。20年前から音楽と笑いの融合ネタを考えていた古坂は1992年に3人組「底ぬけAIR―LINE」のメンバーとして「ボキャブラ天国」に出演した。だが、リズムネタは不評で、さらに番組が終了すると仕事は激減。その後「PPAP」の原点ともいえるネタを編み出しNHKのお笑い番組「爆笑オンエアバトル」に出演したが、出場10組中9位と惨敗。落ち込む古坂に声をかけたのは収録を見ていた故立川談志さん(享年75)だった。

「パーッとやってパーッと終わる感じがいい。イリュージョンだった。ワケが分からないけど、見たことがない。誰もやっていないってことはお前の才能なんだ。誰に何を言われてもやり続けろ」と古坂にアドバイスを送った。談志さんは「お前らの面白さは全くわかんねぇよ」と言いながら、独演会の前座に起用するなどかわいがってくれたという。

「人の評価はいいから、『自分がいいって言ったらいいんだよ』って思い込め。やめんなよ。俺はお前のよさは分かんねえ。でもそれがいいんじゃねえか」という“師匠”の言葉を支えに活動を続けた古坂だったが、リズムネタは評価されないまま。「テレビ出演が年に一度くらいのどん底」になり、引きこもり状態になった。生活苦に陥り、アルバイトの面接に行くと、「面接担当者はかつてのお客さん。古坂さんどうしたんですか?と聞かれ『罰ゲームのバイト面接』とごまかしたこともあった」と不遇の時代を振り返った。

 そんなときに支えてくれたのはお笑い仲間で、古坂復活のために自腹で番組を制作してくれた。どん底を脱出した古坂は再起をかけた単独ライブを開くことを決意した。どんなネタで勝負するか考えていたところに届いたのは、談志師匠からの一通の手紙だった。「中に書かれていたのは『遊んでいるか』だけ」(古坂)。自分を気にかけてくれていることに感謝し「誰に何を言われてもやり続けろ」の言葉を思い出し、かつてのリズムネタ「テクノ体操」をアレンジして制作したのが「PPAP」だった。

 ピコ太郎は、古坂の不遇時代を支えてくれた師匠、お笑い仲間、両親に感謝。番組の最後は「PPAP 金スマバージョン」を笑顔でパフォーマンスした。