【団塊記者の取材回顧録】21日に脳リンパ腫のため亡くなった松方弘樹さん(享年74)。かつて東映京都撮影所などで何度か取材したことがあるが、離婚騒動の渦中にあった1978年7月23日、角川映画「野性の証明」に出演していた時、米国ロケの現場でインタビューしたことがあった。当時36歳。

 同年7月7日、元モデルのNさんとの離婚に決着がついて、離婚の原因といわれた女優・仁科明子(現亜季子)との「10月結婚説」が流れていた。

 米カリフォルニア州軍の基地があるキャンプ・ロバーツなどで2週間にわたって行われたロケに参加。たくましく日焼けして元気な姿を見せた。ディレクターズチェアに腰掛け「私事も解決してスッキリした。このカリフォルニアの陽気な空気のような気分ですよ」。

 松方がNさんとの離婚を宣言してから2年半、途中で仁科との不倫関係が明るみに出てもめにもめ、ワイドショーや週刊誌を騒がせていたがようやく決着がついた。芸能人の離婚慰謝料としては当時史上最高の“3億円離婚”といわれた。

「3億円っていったら、これはゴツイよ。こっちに来てから大丈夫かなって思うこともあるよ」

 慰謝料を支払うために1億円近い借金を背負ったと言われたが、「ぼう大な借金を背負った形だが、これは役者としていい仕事をしていけば返せる。決心して実行に移した以上、ガンガンいい仕事を作って大きな財産を作ってみせますよ」。数少ない大物映画スターならではの豪快なところを見せた。

 米国ロケについて「ハリウッドスタイルっていうんですか。そりゃあもうすごい。専用の豪華なバスがついてね。キッチンもあれば、ベッドルームもあるキャンピングカーの大きなやつで、ヒロキ・マツカタってドーンと名前入りでね。とにかくアメリカのスタッフを使って、大がかりなアメリカロケをやってのける角川のチャレンジ精神は大いに映画界の刺激になりますよ」と語った。

 仁科との「10月結婚説」については「かんべんしてよ。オレ、そんなこといった覚えないよ。とにかく今は仕事にまい進して今までの穴埋めをしたい」「やっぱり映画が主になりますね。映画の入りがいちばん気になる」といっていたが翌年の3月、仁科と再婚して再びマスコミをにぎわせた。