ワンクール限定出演だった裕次郎さん

2012年12月17日 10時00分

【高橋惠子 芸能生活42年回顧録「女優物語」(13)】

 

 昭和47(1972)年7月にスタートした「太陽にほえろ!」(日本テレビ系、72〜86年)。主演は石原裕次郎さん(故人)で、私の役柄は東京・七曲署の女性警察官・内田伸子。出演期間は2年間で「太陽——」全体の16年間の歴史から比べるとわずかなものです。ですが、その舞台裏も忘れられないほどドラマチックでした。

 七曲署捜査一係のボスこと裕次郎さんを中心に刑事たちの人間ドラマを丹念に描いていく——。これが人気爆発の大きな理由だと思いますが、もともとあった構想は大幅に違っていたといいます。そもそも裕次郎さんはワンクール(3か月間、12話前後)の限定出演で、だからこそ出演を決断したというのです。

 当時17歳だった私がこうした裏事情を知るはずがありません。後に関係者の方から真相をうかがって、驚いたものです。なぜワンクール限定出演だったのか? その理由は“映画愛”にあったといいます。このときの裕次郎さんはあくまで映画製作に情熱を燃やしていて、テレビドラマへの出演は来るべき映画製作への準備としか考えていなかった…というのです。

 ところが放送開始後、すぐに人気が沸騰。共演者やスタッフの方、なかでもゴリさん役の竜雷太さんから説得されて出演続行を決断したといいます。もしも予定通りにワンクールで裕次郎さんが降板していたら…。刑事ドラマの名作は誕生しなかったでしょうし、「ボス=裕次郎さん」のイメージも作られなかったはずです。

 裕次郎さんだけではありません。新人刑事のマカロニこと早見淳役の萩原健一さんも当初の設定を拒否していたといいます。もともとの設定では、さまざまな事件を通じて主人公の早見刑事が成長していく、というもの。つまり学園を所轄警察に置き換えただけの、完全な青春ドラマとして構想されていたのです。

 この当時から演技派だった萩原さんは設定の大幅な変更を要求。「太陽——」人気の中心だった萩原さんの意向をくまざるを得ないスタッフは、全面的に譲歩したというわけです。

 こういうと萩原さんのわがままのように思われるかもしれませんが、単なるわがままとは大違いでした。型破りなマカロニ刑事像を作り出したのは、萩原さん自身なのです。

 萩原さんは撮影中も連日スタッフと激論を戦わせ、現場で「あわや」の緊張が走ることもしょっちゅうでした。

 撮影現場でさえ緊迫感が絶えなかったのですから、撮影後の飲み会ではもっと激しく、殴り合いの喧嘩も続発したと聞いています。こうした萩原さんの本気の情熱があったからこそ「太陽——」は若年層の視聴者からも受け入れられて、長寿ドラマになったのです。その萩原さんと私は…。