1965~82年に朝のワイドショー「小川宏ショー」(フジテレビ系)のメーン司会を務めたことで知られるフリーアナウンサーの小川宏さんが11月29日に多臓器不全のため死去していたことが5日、分かった。90歳だった。元NHKの人気アナウンサーの知名度を引っ提げ、フリーに転身。フジと専属契約を結んで17年間続けた「小川宏ショー」は、タモリ(71)の「笑っていいとも!」に抜かれるまでギネス記録だった。

 小川さんはNHK時代、55年から10年間にわたり人気クイズ番組「ジェスチャー」の司会を務め、全国的な知名度を誇った。65年にNHKを退局し、同年、フジテレビと専属契約を結び、自身の名前が付いた冠番組「小川宏ショー」をスタートさせた。以後17年間、4451回に及んだ同番組は「人名を冠した番組の最長寿記録」としてタモリの「森田一義アワー 笑っていいとも!」に抜かれるまでギネス世界記録に認定された。

 91年にはうつ病を発症、さらに93年には踏切で自殺を図ったことを99年に自ら告白し、それらを本に書いて話題となった。その後は講演活動などをしていた。

 テレビ関係者によると、今年10月中旬に肺炎を患い、入院していた。亡くなった11月29日は「夫人と3人の子供や孫に見守られての最期だった」という。

 かつて番組で共演していた関係者は「小川さんが90歳を迎えられたので、番組関係者で11月に東京・新橋で誕生会を開いたのですが、前日に体調を崩され、本人は欠席でした」と明かす。

 小川さんは穏やかな語り口そのままの性格だったそうで、庶民的で人情派だったという。

「スタッフは誰も小川さんが怒ったのを見たことがない。放送後、スタッフルームの間仕切りをしたスペースで仮眠してもらってたんですが、文句も言わない。ワイドショー全盛期で他局とスクープ合戦となり、他局にネタを抜かれても『これはなんでウチにはないの? でも次はがんばって』と言うくらいだった」

 また、こまやかな気配りができる人で「後に知った話ですが、82年の番組終了時、小川さんが新宿・河田町のフジテレビ通りの商店街のそば屋やとんかつ屋など一軒ずつ回って『お世話になりました』とあいさつしていたんです。そんな人柄でした」(同)。

 ライバル局のリポーターだった須藤甚一郎目黒区議会議員(77)は互いの番組でバトルを展開した。プロ野球選手・田淵幸一氏(70)と結婚する前のジャネット八田(63)の妊娠疑惑会見で、須藤氏が「『お小水をください』とは言えないので自分の口で説明してください」と質問したことを、別の番組の小川さんが取り上げたのが発端だった。

「小川さんが番組の冒頭で『“お小水をください”と言った記者がいたそうですね』とちゃかすもんだから、こちらもカメラを連れて『そんなことは言ってない。小川宏を出せ!』とフジテレビに乗り込んだ。結局出ては来なかったけど、当時は番組同士で批判もしていた時代。そういう小川さんだって、番組で『金塊を買いませんか?』と言われて『自分の金(玉)で我慢します』と言って…庶民的な人だった。その後、会ったけどお互いに根に持ってたりはしなかった。話芸の達人との光栄な大げんかでしたね」(須藤氏)

 東京・墨田区生まれで、大物になっても地元を離れず、庶民的な生活を送っていた。葬儀・告別式は密葬ですでに営まれたという。