新しい“就職先”は東宝テレビ部

2012年12月10日 09時05分

【高橋惠子 芸能生活42年回顧録「女優物語」(10)】

 

 昭和46(1971)年の年末、私は東宝と専属契約を交わしました。11月末に所属していた大映が倒産。その直後に東映、松竹、日活、そして東宝の大手映画会社各社から声をかけていただきましたが、自分が大きく成長するために東宝を選んだのです。

 新しい“就職先”の選択にあたって私は慎重にコトを運びました。大映に所属していた1年半の間に「今はテレビの時代」と痛感していたので、東宝ではテレビ部と契約したのです。自分で言うのもヘンかもしれませんが、この選択は大正解でした。東宝テレビ部時代には、多くのテレビドラマに出演。女優として成長できたという実感があるからです。

 大映にもテレビ部はありました。ですが、テレビドラマの仕事はゲスト出演程度でした。記憶に残っている限りでは、大映テレビ部が制作していた宇津井健さん主演の「ザ・ガードマン」(TBS系、65〜71年)くらいしかありません。

 大映時代に比べ、東宝テレビ部での私の活動の幅は大きく広がりました。契約直後の昭和47(72)年1月からは森繁久弥さん(故人)主演の「新・だいこんの花」(NET=現・テレビ朝日系、72年6月まで)に初めてレギュラー出演します。

 私は竹脇無我さん(故人=森繁さん演じる主役の息子役)の同僚(川崎敬三さん)の妻役でした。17歳の女優が妻の役なんて、今の視聴者からすれば違和感を覚えるかもしれません。ですが、大映時代の代表作「おさな妻」の印象が強かった影響で当時の視聴者には自然に受け入れられていたと思います。

 主演の森繁さんやスタッフの方々からホームドラマの新妻役を自然に演じる難しさを教えていただき、思わず目からウロコ…となったことは忘れられません。なにしろほんの2か月前に所属していた大映では、10代の少女の性をリアルに描く“レモンセックス路線”に主演していたのですから…。そんな私がごく普通の女性を演じること自体、初めてだったのです。

 実は「新・だいこんの花」は東宝にとって「関根恵子はテレビドラマでも通用するのか」というテストケースでもあったようなのです。というのも「新——」の撮影が終了する直前、会社側から「新しい刑事ドラマに出演してほしい」と打診されたからです。普通の新妻役を、それなりに演じられたからこその打診だったのでしょう。

 私にも異存はありません。まして、「新しい刑事ドラマ」が銀幕のスーパースター、石原裕次郎さん(故人)主演と聞いてはなおさらでした。そう、それが後に“刑事ドラマの決定版”として評価される「太陽にほえろ!」(日本テレビ系、72〜86年)だったのです。