このところ自衛隊のイベントが大変な人気で、見学者向けの入場券を入手するのも大変な状態だという。とはいえ、自衛隊がどんな活動をしているかよく知らない人も多いのも事実。そこで本紙では、元陸上自衛官のタレント・福島和可菜(33)が自衛隊のイベントなどを紹介する新連載「見たい!聞きたい!自衛隊」を21日からワイド特捜面でスタートする。それに先立ち、自衛官からタレントに転身という異色の経歴を持つ福島の素顔に迫った。

 ――自衛隊に入ったきっかけは

 福島:高校の時、陸上部で走り幅跳びと三段跳びをやっていて、成績が良かったから、北海道内の大学の推薦もいただいたんですが、諸事情があって進学を断念。その時、顧問の先生が薦めてくれたのが、自衛隊でした。

 ――どういうイメージ

 福島:北海道で自衛隊って身近な存在。かっこいいイメージで、陸上部の先輩もいた。倍率は10倍以上あったけど、負けず嫌いな私は絶対に受かりたいと思って猛勉強しました。

 ――入隊後の生活は

 福島:寮は女性4人で1部屋の共同生活。食事もお風呂も一緒。1人になるのはお手洗いぐらいで、最初は戸惑ったけど、すごく気が合って、いまだに仲良くしています。食事時間に遅れたら班全員で腕立て30回。迷惑かけたくないから、時間を守るようになる。自衛隊の任務は何かあった時に遅れたら生死に関わることもあるから、3か月間の基礎訓練でそうした感覚も身につけます。

 ――配属は

 福島:野戦特科部隊。戦車と大砲が合わさったような155ミリ自走榴弾砲を扱う部隊で、前線部隊の後ろから援護射撃します。私は射撃指揮班に所属し、射撃の際に風向きや標高を考えてどういう角度で撃つのかなどを計算してました。もちろんコンピューターを使いますが、地図を広げてみんなで計算してました。

 ――訓練はきつい

 福島:長いと1か月ぐらい山の中。13人の班で女子は私1人でした。目的地に着いたらトラックの後ろに基地を作り、隠れる穴を掘って陣地を作る。虫刺されがヤバくて、ブヨや蚊に100か所以上やられました。

 ――トイレや風呂は

 福島:装備品にスコップが入っていて、トイレは自分で穴を掘る。最初はそれがキツかったですね。お風呂も1週間入れなかったり。体力的には大丈夫だったけどトイレは衝撃的でした。

 ――班で色恋ざたは

 福島:みんな私を女子として見ない(笑い)。でもそれが普通。着替える時は「外に出てください」と言ってました。

 ――北海道の自衛隊は、雪祭りでも活躍

 福島:旭川だったので「旭川冬まつり」の雪像を作るお手伝いをしました。自衛隊には彫る専門の人がいて、その地位は花形。私はひたすら水と雪を混ぜたり雪ブロックを運ぶ役。マイナス30度に耐えられる手袋をしても冷たい。出来上がった時のうれしさは今も覚えてます。平成13年から3年間やりました。

 ――自衛隊にいたのは

 福島:2任期、4年で辞めました。4年目に旭川駐屯地の幕僚庶務室に異動になり、そこで広報担当としてイベントで話したりポスターのモデルをやりました。そんな時に師団長から「ミス旭川コンテストに自衛隊代表で出れば」と勧めていただき、自衛隊のPRができればと出場しました。

 ――結果は

 福島:最後の5人に残り、うち2人が選ばれて私は落選。悔しがっていたら周りから「そういう仕事すれば」と言われ「じゃあ芸能人になります」って(笑い)。芸能事務所のことも、みんなレッスンしてることも何も知らず、東京に行ったらなんとかなると。

 ――自衛隊時代を振り返ると

 福島:本当に入って良かった。あのころがあって今の私があります。連載では、自衛隊のことをいろんな角度から紹介し、読者のみなさまにもっと身近に、親近感を感じていただけるようにできればと思います!

☆ふくしま・わかな=1982年12月2日生まれ。北海道出身。高校卒業後の2001年に陸上自衛隊に入隊。旭川駐屯地第2師団第2特科連隊に所属。05年まで勤務した後、上京してタレントに転身。今年2月の東京マラソンでは3時間3分台で完走した。