ここ数年、インドにおいて毛むくじゃらの巨人が林の中で目撃されている。地元では「ホレストマン」と呼ばれており、インド版ビッグフットとして人気を集めつつある。インド政府は、この怪物を観光に利用しようとしているのだが、果たしてどうなることだろうか。

 類人猿系UMAで 最も有名なUMAと言えばビッグフットである。ビッグフットで最も有名なフィルムと言えば、1967年10月10日、米カリフォルニア州ユーレカブラフクリークで撮影された「パターソンフィルム」だ。ロジャー・パターソンと友人により撮影されたもので、森林を歩きながら時折振り返るビッグフットが映っており、歩き方や倒木を“ヒザを曲げずに飛び越えるしぐさ”が、類人猿そのものだと断定されていた。

 だが、真相は2004年に明らかになる、“The Making of Bigfoot”という本の中で、パターソンフィルムに映るビッグフットの着ぐるみの中に入っていたボブ・ヘイロニムスという人物が「このフィルムは全てインチキで、1000ドルの報酬で着ぐるみの中に入った」と、告白したのだ。また、ビッグフットの着ぐるみはフィリップ・モーリスという人物が435ドルで売ったものだというのだ。

 やはり、ビッグフットとは現代米国のフォークロアに過ぎないのだろうか。

 そもそも、ビッグフットという呼称は1950年代に生まれたものであり、それ以前にはなかったのだ。一部、ネーティブアメリカンの森の精霊伝承と関連づけて話す者もいるが、古来から伝わる伝承と近代のビッグフット目撃談は違うものをさしているように思える。

 2002年11月26日、ワシントン州でビッグフット研究家のライ・ワラスが死亡した。この人物は現在のビッグフットブームのきっかけをつくった男であり、「ビッグフット」という呼称を流布した張本人でもあるのだ。

 1958年8月カリフォルニア州にあった彼が経営する会社「Wallace Construction」の敷地で巨大な足跡が発見され騒動となった。その顛末が「Humboldt Times」紙の1面記事として報道され、「ビッグフット」という未確認生物の名前が生まれたのだ。

 だが、彼の死後、甥のダリル・ワラスが、ビッグフットの足跡は木製の16インチ足型を履いた伯父がイタズラでつけたものであって、彼が生涯において撮影した数百枚のビッグフット写真は着ぐるみであったと告白したのだ。つまり、たった一人の親父のアメリカンジョークから「ビッグフット伝説」は生まれているのだ。

 この人騒がせなライ・ワラスは、1967年に撮影されたパターソンフィルムの撮影にも関与している。なんとロジャー・パターソンに、ビッグフットの撮影ポイントを教えたのは彼であったのだ。後年、ライ・ワラスは「あのフィルムはインチキでスーツの中にいた人物を知っている」と述べたとされている。

 この2人の名優?の死後も伝説は続いていく。2009年に入ってからも、ビッグフットを捉えた映像や目撃証言が続出している。夏にはポーランドにて、岩山を登っていくビッグフットの映像が撮影された。さらに秋には米ケンタッキー州の民家の裏庭でビッグフットが撮影されている。

 ケンタッキー州に現れたビッグフットは、アマチュアハンターであるケニーさん宅の裏庭に現れた。ケニーさんによって裏庭にはセンサーカメラが設置されており、カメラの前を“動く物体”が通るとシャッターが自動的にきられて撮影されるという形式のカメラであった。撮影された写真の一枚に、なんとビッグフットらしき物体が写り込んでいたそうだ。ケニーの周りの人々は、ゴミ袋や何らかの野生動物ではないかと指摘しており、真相は謎に包まれている。

 2012年には、米国・モンタナ州で悲しくも仰天すべき珍事件が発生した。類人猿系UMAとして有名なビッグフットがハイウエーで車に轢かれて事故死してしまったのだ。今回事故死したのは、ギリースーツ(落ち葉や木々などに紛れることができる軍人などが使う特殊なスーツ)を着込んだ人間であり、悪戯心でビッグフットになりきり、ハイウエーを走行するドライバーを驚かそうとした結果の悲劇であった。

 15歳の少女が運転する車(モンタナ州では15歳で免許がとれる)にはねられた“いたずらビッグフット”は、道路上に投げ飛ばされたが、単なる落ち葉や土塊にしか見えず、後続車に再びひかれてしまい、絶命してしまったという。

 インチキ“ビッグフット”が事故死とは、悲しき末路である。

(提供=ミステリーニュースステーションATLAS