「奔放な不良少女・関根恵子」

2012年11月30日 10時00分

【高橋惠子 芸能生活42年回顧録「女優物語」(6)】

 

 昭和45(1970)年8月公開の主演デビュー作「高校生ブルース」の宣伝のため、大映宣伝部所属の女優である私は大量の取材を受けることになりました。映画は当時の世間を騒がせていた高校生の妊娠と中絶がテーマ。斜陽期の大映が起死回生策として打ち出した、10代の少女たちの性を描く“レモンセックス路線”の第1弾でした。

 当然、取材陣の関心は15歳の少女の私がヌードを披露し、リアルな性描写に挑戦したことにありました。今振り返ってみると、質問が10代の性、特に私自身の性体験に集中するのも仕方がなかったと思います。なにしろ会社側がレモンセックス路線を大々的にあおっていたのですから。

 ですが、私にとってはすべてが初体験。単純に「質問が性の問題ばかりなのは、なぜだろう?」と感じてはいましたが、質問には「本当のことを答えなさい」と命じられていたので、本心のまま答えていました。

 興味本位としか思えない質問をする人もいましたが、素直だった私は努めて丁寧に答えるようにしていました。例えば「初体験はしたんですか?」という質問には「小学6年生のときに終えました」。ところが…。百戦錬磨の取材陣にとって、ほとんどの質問に本音で答える私は絶好の“獲物”だったようです。

「新人女優・関根恵子は本当に不良だった!」。こんな見出しでオーバーに書かれた記事は、それでもまだマシでした。あたかも私が「高校生ブルース」の主人公以上の、数多くの性体験をしているといった内容の記事も多く、「なんでこうなるの?」と驚いたことを覚えています。

「高校生ブルース」の実際の内容はともかく、公開前に書かれた記事だけを読むと「ものすごい映画」とカン違いした映画ファンの方も多かったのではないでしょうか。

 ですが、会社側は大量の記事が掲載されただけで大満足の様子でした。今の私なら宣伝効果の何たるかは分かっていますが、この時は会社が大喜びしている理由をよく理解できずに、不思議に感じていたものです。

「高校生ブルース」だけでも、マスコミによって「本物の不良少女・関根恵子」のイメージが作られてしまいました。本来ならデビュー作のはずの「おさな妻」が11月に公開されると、そのイメージは確立されてしまいます。

「本当の私は映画のような少女じゃない」。そう主張するつもりならできたかもしれませんが、それも今思えば…ということ。あのころは作られたイメージを否定するなんて、思いもよりません。それに加えて、私には未熟ながらも女優としてのサービス精神のようなものが芽生えていました。

 周囲が期待する通りに、イメージ通りに、積極的に振る舞っていたのです。「奔放な不良少女・関根恵子」を期待されるなら、その期待に応えないと——。この結果、私の実像とイメージはさらにかけ離れていくことになります。