あの天才少女は「石川さゆり」

2012年11月23日 10時00分

【高橋惠子 芸能生活42年回顧録「女優物語」(3)】

 

 昭和43(1968)年、私は映画会社「大映」のカメラマンの方にスカウトされて中学卒業後の大映入社が内定。その準備のため音楽教室に通うことになりました。昭和45(70)年に「第1回ミスセブンティーン」コンテストが開催されることになっていて、カメラマンの方から「出場すればいい。歌の審査もあるから、レッスンを受けておくといいよ」と勧められたのです。

 もともと歌うことは嫌いじゃないし、実はひそかに自信もありました。ひょっとして、女優と歌手活動を両立できるかも…。夢はどこまでも広がっていきましたが、それも私より2歳年下の天才少女の歌を聴くまでのことでした。私と同じ音楽教室に通っていた小学6年生の女の子の歌唱力といったら、とにかく仰天するしかありませんでした。

「きっとプロの歌手になるのは、こういう子なんだろうな」。私は心の中で、こうつぶやいていました。その女の子は絹代ちゃんといい、天才的な歌唱力は私の記憶に深く刻み込まれます。もともと女優志望の私でしたが、絹代ちゃんは私がぶれることなく演技一本に絞るきっかけとなった女の子なのです。

 それから5年後——。私がテレビドラマ「太陽にほえろ!」(日本テレビ系)にレギュラー出演していたころのことでした。あの絹代ちゃんが、「石川さゆり」としてプロの歌手になっているではありませんか。テレビ画面で彼女の姿を見て、私は懐かしく思うと同時に「やっぱり、彼女の歌唱力は本物だった」と改めて痛感しました。その後の石川さゆりさんの活躍はみなさんもご存じの通りです。

 私はといえば「ミスセブンティーン」コンテストの予選を通過し決勝大会の最後の3人には残ったものの、優勝はできませんでした(グランプリは宮野凉子)。歌のレッスンのかいなく?グランプリを逃したのはちょっとだけ残念ではありましたが、歌手やタレントを目指していたわけではありません。中学卒業後に大映に入社し、専属女優になることは内定していましたから、あとは予定通り行動すればいいだけのことです。

 ただ、両親にとって、ここから先の私の行動は予想外のようでした。物心がついたときから中途半端なことは大嫌いな性格の私は、中学卒業後は高校に進学せずに、女優に専念することを決めたのです。

 当然のことながら私の意見に両親は反対しました。ですが、私は「高校に進学したつもりで、3年間、専念させてください。3年間やって芽が出ないようだったら諦めます」と逆に両親を説得できたのです。