見知らぬ男性が「娘さんを女優に」

2012年11月19日 10時00分

 それは日本映画史上、最大級の衝撃だった。1970年、15歳の少女が初主演作でオールヌードを披露した。わずか1年半の間に7作連続主演。しかも全作品でヌードになった。その歴史的“事件”の主人公が高橋惠子(57=当時は関根恵子)だ。以来、確かな演技力とは裏腹に数々の騒動を巻き起こす。そのインパクトは桁違いで、現在のお騒がせ女王・沢尻エリカ(26)など比較にならないほど。芸能界を激震させた事件の真相と波瀾万丈の半生を公開する。

 

 

【高橋惠子 芸能生活42年回顧録「女優物語」(1)】

 私は北海道で生まれ、小学6年生の途中までそこで育ちました。当時は女優になるなんて、しかも「元祖プッツン女優」などと呼ばれるようになるなんて思ってもみませんでした。小学校までの片道4キロの道のりを歩いて通う…。そんな、本当にのんびりとした毎日を過ごしていると、芸能界や女優に憧れるきっかけなんて、訪れるわけがありませんから。

 ところが中学進学を翌春に控えたころ私の運命は大きく変わります。私たち家族は東京・府中市に引っ越したのです。理由は私の進学を見据えて、というものでした。私の父親は大学進学を夢見ながらも断念していました。それだけに「子供には大学進学を実現させてやりたい」と強く思っていたようでした。
 
 子供の教育環境を考えると、北海道の片田舎で生活しているよりも東京の方が有利…。母もこの考えに賛成し、私たち家族は府中市に転居したわけです。この後、中学に進学するころには現在の相模原市、その後は町田市に引っ越したのですが、東京で最初に暮らした府中市が後の「女優・関根恵子」誕生に深く関係することになります。

 あれは中学2年生のときのことでした。私たち家族の写真は府中市の行きつけの写真館に現像を頼んでいたのです。デジタルカメラが普及した今では想像できないかもしれないけれど、記念写真やスケッチ写真を撮影したら、写真館に行って現像してもらわなくてはなりません。その日も私は母と2人で、写真館に撮影したフィルムの現像を依頼しに行ったのです。すると…。現像を頼んでいる中学2年生の私のことを、じっと見つめている大人の男性がいるじゃありませんか。

 その男性は私の隣にいる母に近づき、「娘さんを女優にしてみるつもりはありませんか?」と声をかけてきたのです。えっ!? 一体、何なの? 私は戸惑うしかありませんでしたが、とりあえず母と一緒に詳しい話を聞いてみました。その男性、実は映画会社「大映」のスチールカメラマンで、「将来性がありそうな人材をスカウトしている」と説明してくれたのです。

 

☆たかはし・けいこ=1955年1月22日生まれ、北海道出身。70年、最後のニューフェースとして大映に入社。同年「高校生ブルース」で主演デビューを果たす。71年11月に大映が倒産するまでに7作に連続主演した。その後は映画、テレビドラマ、舞台とジャンルを問わず活躍。今後は23年ぶりの主演映画「カミハテ商店」(11月公開予定)、坂東玉三郎特別公演「日本橋」(12月3〜26日、東京・日生劇場)が控える。