【“飲みカワ”アイドル中村静香「チョイ呑みおやじキラー」(5)】私は15歳の時に「全日本国民的美少女コンテスト」に出場しました。でも、実は父が芸能界に興味がある私に、コンテストを見つけてきてくれて、エントリーしていたんです。父親の後押しもあって私の芸能人生は始まりました。

 芸能界に興味はあった中で、もう一つの夢は「マッサージ師」だったんですよ。ツボとかをガンガン押すマッサージです。人を助ける仕事が魅力的だったし、マッサージを受けている人って、みんな気持ち良さそうな表情をしているじゃないですか。私も「人を助けたいな。人を幸せにしたいな」って思ってたんですね。意外と真面目なんですよ(笑い)。お仕事を始めて、マッサージに通うようになって、さらに楽しそうなお仕事だなと憧れるようになりましたね。

 コンテストは決勝まで残って、いまの事務所「オスカープロモーション」に所属することになります。最初は「美少女クラブ21」というグループに所属して、歌ったり踊ったり、アイドル活動してました。それが1年後には、次のコンテストで選ばれた10人が加入して、31人組のグループになって「美少女クラブ31」になるんですけどね。冠番組もやらせていただいてました。

 まだ高校生だったので、お仕事は京都から通いです。お正月返上して仕事したり、なんだかバタバタしていましたね。グループではボーカルじゃなくて、バックダンサーだったんですけどね(苦笑)。上戸彩さんのバックダンサーとして紅白に出場させていただいたり、ミュージックステーションにも出させていただきました。その時は会社の後押しもあって、いろいろとやらせていただきました。そのころはお酒を飲む仕事をするなんて想像だにしませんでしたねぇ。

 でも、お母さんがたまに晩酌していて、その姿を見ていたので、いまの「飲みカワ」につながる部分はあったのかな? お母さんも飲むとかわいいです。実はお父さんはまったく飲めないんですよ。コップ半分のビール飲んだだけで顔真っ赤っ赤。いうても、お母さんもそんなに強いわけじゃない。だからお父さんには「2人の遺伝子的に考えて、静香は飲めないはずなのに不思議だ」と言われます。私も「何で飲めちゃうんだろう」と思います。もしかしたら、2人の子供じゃないのかな~なんてことを考えてみたり(笑い)。

 とにかく、デビュー直後は事務所の力添えもあって、スタートダッシュはすごかったです。それで17歳の時に初めて、お芝居の仕事をやらせていただきました。これまではグループで守られている部分もあったけど、初めて1人で仕事現場に行くとなると、まったく違いましたね。すごく楽しかったです。見るもの全てが新鮮で、自発的に考えるようになった。そこから、個人でのグラビアの仕事やお芝居もスタートした感じで「美少女クラブ31」のお仕事も少なくなってきたのかな?

 1人になって分かることが多かったですね。その時はいろんなところにアンテナ張る楽しさもあったりして、その場に立たされて感じることもありましたからね。それで18歳になって上京することになります。