12日に肺炎による多臓器不全で死去した演出家の蜷川幸雄さん(享年80)の葬儀・告別式が16日、東京・青山葬儀所で営まれ、「パンドラの鐘」や「マクベス」「欲望という名の電車」などに出演した、女優の大竹しのぶ(58)が弔辞を読み上げた。
 
「俺さあ、日常捨てたから。俺さあ、まだ枯れてないよ。もう1本芝居つくろうよ。リチャード二世観劇後の私に蜷川さんがおっしゃってくれた言葉です。そして、その言葉通り『リハビリする時間があるならけい古場へ行きたい』と、その後も何本も芝居をつくられました。本当にすさまじいエネルギーと信念で、最後まで走り続けられました。

 今も、私は蜷川さんに出会えた喜びと、そして感謝の言葉しか浮かんできません。けい古場に響き渡るあの怒鳴り声、他では決して味わえることができない心地よい緊張感。良い芝居をした時に見せて下さる最高の笑顔。それらはこれからの私の演劇人生の中で、色あせることなく輝きつづけることでしょう。

 蜷川さんにもう会えないことが知らされたあの夜『身毒丸』に一緒に出演していた当時小学生だった男の子からメールが届きました。『しのぶさん、僕悲しいよ。僕ね、早く大人になって、もう一度蜷川さんのお芝居に出たかったの』。どれだけ多くの人がそう思っているでしょうか。

 マクベスで初めて海外公演を経験させていただいた時、本番前の劇場の客席を、私はうれしくて走り回っていました。自分を知らない人の前で、純粋に芝居ができるという喜びでいっぱいでした。そんな私を蜷川さんは本当にうれしそうに見て、おっしゃいました。『俺がさあ海外に出る理由わかる? いつも勝負していたいんだ。客観的なところに自分を置いて、追い込まないとさ、ダメになっちゃうだろ』。蜷川さんのそんな思いが、日本と世界をつなげているんだということを実感しました。

 9日にお見舞いに伺った時も、苦しい呼吸の中で、必死に生きようとしていらっしゃいました。“まだやれる。まだつくりたい芝居があるんだ”。そんな声が聞こえてくるようでした。目の前のテーブルには、今年作る予定だった台本が3冊置いてありました。蜷川さん、けい古場でお待ちしていますね。私は少しだけ大きな声で話しかけました。その瞬間、ハッキリと目を開けて下さり、私達は数秒間、見つめ合いました。

 そうなのです。けい古場にいなくては、劇場にいなくては、蜷川幸雄は蜷川幸雄ではないのです。今あなたがいなくなって、私達はこれからどうすればいいのでしょうか。

 でも、劇場という場所には、その塵にさえ先人の魂が宿ると言われています。あなたの魂の叫びは、今世界中の劇場に、それを見た観客の心の中に、そしてもちろん私たちの中に、永遠に残っています。それを胸に私たちは、芝居を続けるしかないのです。蜷川さんがいつふらっとけい古場に現れてもいいように一生懸命演劇を続けていくしかないのです。

 だから蜷川さん、けい古場でお待ちしています。本当にありがとうございました…親愛なるニーナへ」