12日に肺炎による多臓器不全で亡くなった演出家の蜷川幸雄さん(享年80)の通夜が15日、東京・青山葬儀所で営まれ、長女で写真家の蜷川実花氏(43)が報道陣の取材に応じた。

 実花氏は時おり笑顔を見せながら、撮影のため病室を出た約20分後に蜷川さんが亡くなったことを明かし、「しっかり私なりにお別れをした後で亡くなった」と話した。

 蜷川さんの最期の言葉は、妻で元女優の真山知子さん(75)を探しながら発した「真山は?」だったそうで、「母が病室にいなかったタイミングで、『真山は?』と言っていたのが、最期の言葉なんじゃないかな」と振り返った。そして「父は、神経質で気難しいところもたくさんあったけど、母はすごく穏やかでかわいらしい人なので、いいコンビだったと思う」と夫婦像について語った。

 また、実花氏は「どこから切り取っても、幸せな人生だったんだろうなと思います」と回顧。天国の父へかける言葉を求められると、「家のことは私が全部やるので、あとは任せてください」と呼びかけた。

 昨年12月に肺炎で入院後の5か月間に、蜷川さんは何度も危険な状態になったそうで、「そのたびに奇跡的によみがえっての繰り返し。何回もお別れをした。現役の場に身を置くことが生きることのほとんど。最後まで駆け抜けた人生だったと思う」とたたえた。

 演出家として俳優たちへの厳しい指導で知られる蜷川さんには“灰皿投げ”などの逸話があるが、「孫に見せる顔はデレデレで、イチャイチャしていた」と隠れた素顔を明かし、「私にも灰皿を投げるようなことはなくて、理論で怒ってくる人でした。私はすべて納得しながら怒られていた」と振り返った。

 写真家、映画監督として活躍する実花氏への評価については「あまり褒められることはなかったけど、『おまえ、はやってるらしいじゃん』と言われた。映画をつくった時は、周りのいろんな人から『映像は実花の方がうまいんだよ』と伝えられたり…」と、間接的に伝える照れ屋な父親像も明かした。

「長男のように育てられて、『自立した人間になれ』が口ぐせでした」と話す実花氏は「写真家になっても、ずっと『蜷川幸雄の娘』と言われ続けてきた。それが取れた状態で呼んでもらえるように、と頑張ってきた」と偉大な父をしのんだ。