演出家で俳優の野田秀樹(60)が12日、都内で報道陣の取材に応じ、同日亡くなった演出家・蜷川幸雄さん(享年80)を悼んだ。

 野田は、20年来の付き合いがある蜷川さんを「お師匠さん」と呼んでいた。最後に会ったのは、蜷川さんが亡くなる前日11日。知り合いの女優から見舞いに行くよう勧められたという。

「強引に病院に行きました。こういう状態だったとは知らずに。ある女優さんからの情報で〝野田さんが行ったら元気になるんじゃないか〟ということで」と振り返る。

「目は開けてくれませんでした。人工呼吸器をしていて、『来たよ』と言っても『あぁ…』とか『うぅ…』とか…」

 野田によれば「これから演出しないといけない台本が3本、ベッドのそばにあった」という。蜷川さんは、死去する直前まで演出家として魂を燃やしていたようだ。

「『今度会う時は目を開けてよ』と声をかけたけど、まさかこんなに急にとは思わなかった」

 最後の対面は昨日だったが、きちんと話をしたのは昨年12月だった。それは、激情家で知られる蜷川さんの「弱音を初めて聞いた」(野田)という電話の会話だった。

「俺、ダメみたい…」と漏らした蜷川さんに「くたばってんじゃねぇよ」と激励したそうで、タメ口をきける野田ならではのエールだったが、死期を悟っていたのか「ちょっとダメみたい」と弱々しく返答があったという。

 演出家の大先輩としての印象は「見せ方を圧倒的に知っている。蜷川さんはオリジナルで、他の人はパクリ」と分析。他の演出家に多大な影響を与えたことに「あそこまでエネルギーを振りまいてきた人は稀有。しかもあの年齢でね」と語った。

 また蜷川さんの怒りっぽい性格については「腹立っちゃうんじゃないですか。思ったことをガーッという方なので」とフォロー。

 役者によく灰皿を投げつけていたのは有名な逸話。駆け出しの俳優に厳しく「今の若い役者は立ち方がなっていない」と指摘していたそうだが、一方で「若いヤツがやっていかないといけない」と口グセのように若手の奮起を期待していたという。

「悪態をついて『うるせぇ!』とまた言われたかった」

 こう語る野田は、師匠の急死をまだ信じられないようだった。