【団塊記者の取材回顧録:特別編】シャンソン歌手で推理作家としても活躍した戸川昌子さんが26日、胃がんのため静岡県内の病院で死去した。85歳だった。葬儀・告別式は5月5日午前10時から東京都大田区、臨海斎場で営まれる。喪主はシャンソンアーティストで長男のNERO(本名・戸川尚作)氏。毎週木曜掲載の「団塊記者の取材回顧録」特別編で戸川さんのエピソードを振り返る。

 1950年代にタイピストから歌手になり、東京・銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で歌った戸川さん。後にコメンテーターなどとしてテレビの世界でも活躍した。75年6月29日、本紙のインタビューに大いに語ったことがあった。当時44歳。

 初めてのレコードとなるアルバム「失くした愛」をリリースして、歌手として改めて注目されていた。同アルバムに収録された「リリー・マルレーン」にはことのほか思い入れがあり、戸川さんの代表曲として知られる。「私が20年も前から、泣きたいとき、つらいときに聴いていた曲ですよ。歴史があり背景がある。大事にあたためて繰り返して歌ってきたもの」

 アルバムのジャケットには、作家・五木寛之氏が「私は昭和三十年代の初期に、歌手・戸川昌子を銀座の小さい店で知った。アイロンを当て過ぎてピカピカ光る黒いサージの服を着た若い娘はなにか他の歌い手と違うものを感じさせた」とコメントを寄せた。

「そうなの。あのころステージで着る洋服も買えなくて、母の古い黒のワンピースのえりぐりを深く抜いて自分で縫ったの。それが1着だけで、何回もアイロン当てたからピカピカになってしまったのよ。地獄でのたうち回るとはこういうもんかって」

 トレードマークの独特のヘアスタイルで熱く語った。「このヘアスタイルが、顔に一番似合っていると思うし、美容院がきらいで、自分で手入れしないと気が済まないの」

 見かけは豪放、大胆、あけっぴろげだが、中身はとてもナイーブ。

「あのね、人間には二つの道しかないと思うの。波風型と平穏型。私はどうしたって波風型で、食えなくてもいいから何かしなくちゃと、いつも危なっかしいことやらかすのよね。あとになって、他人からうらやましいわあといわれるけど冗談じゃない。そこに行き着くための死に物狂いの日々を知らないからよ」

 77年、46歳で高齢出産。当時の芸能人、文化人の最高齢出産記録として話題を呼んだ。