日本の戦後史を彩った文化のなかで“絶滅”が危惧されているのが「ピンク映画」だ。25年で約130本のピンク映画を監督した池島ゆたか監督(67)に聞いた。

 ピンク映画の最盛期は1960~70年代。当時、成人向け映画館は1000館以上あったといわれる。火をつけたのは65年、故若松孝二監督の「壁の中の秘事」が、ベルリン国際映画祭のコンペ部門に出品されたこともあり、それまでピンク映画を知らなかった層に人気が拡大した。

 池島監督は「ちょうど日本映画が低迷していた時期で、映画館が次々と成人向けに鞍替えしていった。ピンクが最も安く女の裸を見られるものだったから、どこも満員だった」と振り返る。

 その後、ビニ本が出現し、アダルトビデオが広まると、ピンク映画業界は急激に失速。現在も存続しているが「新作を作り続けているのは上野オークラ劇場の関連会社ぐらい。劇場は50館弱で、年5館のペースで閉鎖している。あと何年かで商売としての限界の館数を下回ると思う」と語る。

 ピンク劇場はゲイのハッテンバや痴漢の巣窟になっているとの噂も。

「随分前からその傾向はあった。痴漢プレーを求めて入るカップルもいる。以前、主演女優と一緒に見ていたら、女優が痴漢されたことがあった。後で『監督とは知らず申し訳ない』と缶コーヒーくれたけど(笑い)。BSでピンク映画を見て好きになり、知らずに劇場に入って痴漢された女の子もいて、そんなコたちのための観賞会をやるようになった」と池島監督。

 男性はAVに流れ、新しいファンの獲得は至難だ。「ピンク映画は使命を終えたんだろう。日本映画が低迷した時、フィルムメーカーや現像屋が仕事を続けられたのは、ピンク映画のおかげだった。優秀な監督や役者も輩出した。なくすにはもったいない文化だとは思うが…」(同)

 池島監督の新作は「映倫の限界まで攻めた」という「魅惑のラブハウス」(11日から上野オークラなど)。12日は観賞会を開催する。