お笑いコンビ「爆笑問題」(太田光=50、田中裕二=51)が、2人のライフワークである「タイタンライブ」20周年を記念して、11、12日に記念ライブを東京・港区の「EX THEATER ROPPONGI」で開催する。今回は「特別編」として、すでに掲載した直撃インタビューに収まりきらなかった2人の発言を余すところなくお伝えする。

 ――1回目のタイタンライブは

 田中:銀座のソミドホールで第1回をやったんだけど、その前にお試しの「第0回」を浅草の雷5656会館でやった。実はそのライブを当時、新人だった劇団ひとりと有吉弘行が見に来ていたんだって。多分、劇団とかは10代だったんじゃないかな。ライブ自体はひっそりとやってたんだけどね~。雷5656会館の印象が強くて、肝心の第1回は覚えていないという(笑い)。どんなネタをやったかはまったく覚えてない。

 太田:浅草は覚えてる。ライブ途中でお客さんからお題をもらって「三題噺」をやった。合同コントもやってた。

 ――最近は「M―1」が復活。お笑い界の状況はどう思う

 田中:ウチらはやることは変わらない。ブームの浮き沈みはあるけど、ウチらのスタイルは変わらないから、あまり周囲に左右されることはないかな。

 太田:やっぱり「M―1」のおかげで漫才をやるコンビが爆発的に増えたなと思う。ウチらが駆け出しのころはコントが主流だったから。「ラママ」(渋谷のライブハウス)でいうと「爆笑問題」と「浅草キッド」ぐらいで、あとはみんなコント。「ウッチャンナンチャン」がショートコントでブレークしてから、みんなそんな感じだったけど。やっぱり「M―1」から、漫才が増えたような気がするね。

 ――20年も継続するのは大変。継続するといえば、太田さんの日課である「腕立て伏せ」はまだ続いている。

 太田:うん。やらなきゃ気持ち悪いんだよ

 田中:この人は“元祖・ルーティーンの男”だから(笑い)、毎日、自分なりの決めごとは必ずやるタイプ。それが年齢を重ねることで、どんどん増えていっている。

 太田:俺の中では“引く”という感覚がない。“足す”だね。実際に「引き算」も苦手だし。

 田中:「14引く8」とかができないから。

 太田:足し算も決して得意じゃないけど(苦笑)。性格的にがめついのかな。貧乏だったし、早くメシ食わないと兄弟に取られてたし。

 田中:一人っ子だろ! しかも、かなり裕福なほうだろうよ。でも、性格的に負けず嫌いなのかな。だから、ライブも続いているのかも。「ほかのコンビがやらないことをやってやろう」みたいな。周囲からも「爆笑さんはすごい、そんなに続けているコンビはいないですよ!」とか言われるから、やめられなくなってきたよ。

 ――時間もかなり割いている。休みたいと思ったことは? 1週間以上の休みを取ったことは

 田中:ゼロだね。1回もない。カレンダーの都合で3日間ぐらい、ぽっかりと空いたことが1、2回。10年に1回のペースか(笑い)。

 ――その時は何を

 田中:10年ぐらい前だったんだけど、その時は人生で初めてグアムに行った。コンビ結成して初めて。強行スケジュールでね。前の奥さんとだったけどね(苦笑)。