死去デビッド・ボウイさん たけしのギャグに爆笑

2016年01月13日 05時30分

 欧米、日本の超一流ミュージシャンたちに多大な影響を与えた英ロック歌手のデビッド・ボウイさんが10日、がんのため死去、世界中のミドルエージ以上の音楽ファンを悲しませた。69歳だったボウイさん。1960年代から世に先がけて中性的なメーク…今でいう“おネエ化粧”?を施しステージに上がり、ファンを魅了した。映画俳優としても成功し、歌舞伎と能を愛する大の親日家だった。初来日コンサートの際には報道陣をけむに巻く発言を飛ばし、ビートたけし(68)のギャグに笑い、とびきりの都市伝説も残していた。

 英BBC放送によるとボウイさんは、約1年半にわたるがんとの闘病生活を送っていた米ニューヨークで、家族に見守られながら静かに息を引き取ったという。

 英音楽誌で「最も影響力のあるアーティスト」に選ばれたのは2000年。「カルチャー・クラブ」のボーイ・ジョージ、マドンナやレディー・ガガ、日本では坂本龍一などにも大きな影響を与えたことは知られている。

 1947年にロンドンで生まれ、60年代後半から「スペイス・オディティ」など数々のヒット曲を飛ばし、世界的スターの座に上り詰めた。
「イギリスではビートルズ、ローリング・ストーンズ、クイーンと並び称される偉大な音楽家」とはある音楽関係者。ジョン・レノンと競作したこともある。

「75年に『フェイム』という曲を一緒に作っていますが、当時、ボウイさんはジョン・レノンがスタジオにいるだけですごい量のアドレナリンが出たという話をしていたのを覚えている」(前出の音楽関係者)

 当時は、派手な衣装に“おネエ・メーク”が、お気に入りだったようで「70年代リリースの『世界を売った男』のアルバムジャケットにもありますが、女性のメークをしてドレスを着ているんです。男性が女性のファッションをするというのは、いまでは珍しくもないスタイルでしょうが、当時としては奇抜すぎるものでした。メジャーで売れているミュージシャンであのスタイルをやったはしりでしょう。ファッションに関しては、山本寛斎さんの衣装を取り入れていたことも有名です」と前出関係者。

 1973年、初の日本公演のために来日し、会見を開いたときには「日本のお年寄りが見たら、この世の終わりと思うのでは?」との質問に「そうでしょうね」と当然のように答えていた。

 架空のキャラクターを作り上げて、なりきっていくスタンスを確立したのもボウイさんだ。

 73年の会見は映画のPRもかねていたようで「四次元の使者」という設定だった。飛行機嫌いで英国から船で2週間半かけ日本に来たボウイさんは「ボクは宇宙に多大な憧れを持っている。そしてUFOを絶対に信じている」と目を輝かせて答え周囲を驚かせていた。

 さまざまな視覚効果と音楽がうまくミックスし始めたのは80年代だ。

「音楽と映像が融合したMTV全盛の時代です。ボウイの前衛的といわれるファッションと音楽が見事にはまった」(前出の関係者)。83年にアルバム「レッツ・ダンス」をリリースし大ヒットさせた。「この作品はこれまでの音楽とは違い、ヒップホップな要素が多分に入った作品だった。当時、評論家などからは『いままでのスタンスを捨てて世間に迎合した』と批判も浴びたが、これが世界的に大ヒットになったことは間違いない作品だった」(事情通)

 ファッションでも音楽でも常に世の中より一歩先を行っていた。だが、それだけではない。こんな“伝説”もある。

「後に『あれは全部ウソ』と全面的に否定はしましたが、その当時は『自分はバイセクシュアルだ』と明言したこともありましたね。都市伝説的に言われているのが、ミック・ジャガーとの関係ですね。ミックの妻が家に帰ると、ベッドでミックとボウイが一緒だったという伝説は有名です」とは別の音楽関係者。

 歌舞伎や能も大好きだったボウイさん。親日家としても有名で、日本では映画「戦場のメリークリスマス」(83年)に出演し、“同級生”の本紙客員編集長ビートたけしと共演したのはあまりにも有名。

「撮影現場ではたけしさんが日本人スタッフに日本語で面白い話やギャグを連発していたら、横で聞いてたボウイが日本語も分からないのにゲラゲラ笑っていたなんて話も聞いたことがある」と同関係者。言葉が通じなくても笑えたのは、たけしのギャグもさることながら、ボウイさんの感性のなせる業だったのかもしれない。

 1月8日に69歳の誕生日を迎え、最新アルバム「ブラックスター」を発売したばかりだった。こんなタイミングに、ボウイさんの訃報は「タチの悪いブラックジョーク」と疑う声もあったという。

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