原節子さん「あと5年は生きたい」 同居のおいが明かす謎の半生

2015年11月28日 10時00分

原さんがひっそりと暮らしていた家

 肺炎のため、9月5日に95歳で亡くなった“伝説の大女優”原節子(本名・会田昌江)さん。神奈川県鎌倉市の自宅近くでは、住民らがその死を悼んだ。

 もともと外出好きでなかった原さんは、足腰が弱った80歳ごろから、さらに外出の機会が減ったという。「最後に見かけたのはもう30~40年前」という住民がほとんどだ。「すれ違う時は手をかざして顔を隠すんですけども、あれだけきれいだから分かっちゃうのよ」とある住民は懐かしんだ。

 同じ敷地に住んでいた原さんのおい(75)は本紙に「本や新聞を読んだりテレビを見たり、普通の老後でした。本人は『あと5年は生きたい』と言っていました。経済に興味があって、新聞広告で読みたい新書を見つけると『買ってきて』と頼まれてました。異常気象にも気をもんでいて『もっと住みづらくなってしまう』と心配していました」と明かした。

 原さんは映画「晩春」や「東京物語」でタッグを組み、結婚の噂もあった小津安二郎監督(享年60)の死去直後、42歳で引退。以後50年以上、表舞台に出ることも、自身の口から引退理由を語ることもなかったのは、本紙昨報通り。

「もともと目立つことが好きではなく、女優もずっと続けようと思ってはいなかったようです。白内障にかかり、撮影のライトを浴びるのも苦痛だったのでしょう。自分の出演作やインタビュー記事も持っていなかったし、女優時代の話も一切しなかった。写真も少し前に、全部自分で破って捨てていた」(同)

 映画関係者との交流もほとんど絶った原さんだが、70代くらいまでは毎年1回、小津監督が眠る鎌倉・円覚寺にお参りした。生涯独身を貫いたが「縁談の話もないではなかったですが、本人があまり乗り気でなかったんじゃないかと思います」(同)という。

 原さんは8月中旬に肺炎と診断されて神奈川県内の病院に入院。親族に見守られながら息を引き取ったという。