志村けん(65)の母親で、23日に96歳で亡くなった志村和子さんの通夜が26日、東京・東村山市で行われ、笑福亭鶴瓶(63)、桑野信義(58)、ダチョウ倶楽部の肥後克広(52)、南野陽子(48)ら約600人が弔問に訪れた。最愛の母の死去で心配されるのが、志村の舞台封印だという。

 弔問客に気丈に振る舞った後、報道陣の前に姿を見せた志村は、自身の舞台を観劇に来た母との思い出をしんみり語った。最後に会話したのも今年8月の舞台「志村けん一座 志村魂」の会場だった。

「おふくろは三味線が好きで、舞台で演奏してるときも、ちょうどシーンとしてるときに『ケンちゃ~ん、頑張ってー!』と声出すんですよ」。テレビ共演もあったが「おふくろは『恥ずかしいからいいよ!』とか言いながらテレビに出てて…、結構出るのは好きでしたね。一番の思い出は、バカ殿で若い女性とベッドインする設定で、振り返ったらおふくろだったっていうやつでした」と志村。

 生前、和子さんは「孫の顔を見るまでは死なない」と言っていたが、志村は「何人かはおふくろに(交際女性を)会わせたりしたんだけどね。喜んでたけど(結婚まで)うまくいかなくてね」と、心残りの様子だった。

 最愛の母を亡くした志村の仕事面を心配する関係者の声も上がっている。

「志村はお母さんのために舞台を続けていたんです。そのお母さんが亡くなって『来年から、舞台はどうしようかな』と落ち込んでますよ」とは親しいテレビ関係者。

 志村の舞台「志村魂」は2006年からスタートし、今年7~8月公演で10回目の開催だった。そこに観劇に訪れた和子さんと会った桑野は「車イスだったけど、親戚の人と楽屋に来てくれてね。志村さんもうれしそうで、明治座の表まで出て行って楽しく会話してました。お母さんは志村さんの一番のファン。志村さんはお母さんの全てだったと思います」と2人の絆の深さをおもんぱかった。

 その絆をつないできたのが舞台だった。

「志村さんは恥ずかしがりながらも、お母さんに客席から掛け声をかけてもらうのが一番うれしかったみたいです。今年の夏の公演を見終わって、1か月くらいしてから、お母さんが体調を崩され、入院した。志村さんは見舞いに行くたびに和子さんが日々、衰えていく姿を見てるのがつらいと言ってました。亡くなる1週間前には『もう最後かな』と落ち込んでいました」(舞台関係者)

 22日、志村は「志村けんのだいじょうぶだぁスペシャル」の収録が終わった直後、病院に駆け付け、最期をみとった。志村はブログに「天国からまだまだ応援 見守って下さい」とつづっていた。

 志村の一番のファンだった和子さんの死で、志村の胸の内には舞台をやる意味がなくなったようだが、母のためにも続けることが最大の供養ではないだろうか。