【国生さゆり連載24】「思い出は冷蔵庫に」発言は本音

2012年10月17日 11時00分



【国生さゆりのニャンたま事件簿(24)】昭和62(1987)年3月30日。私が「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系、85〜87年)の番組ユニット「おニャン子クラブ」から卒業する日がやってきました! 人気メンバーだった河合その子ちゃんや新田恵利ちゃんを送り出してからだいぶ時間がたっちゃったけど、私自身が卒業できる日がついにやってきたのです。

 長かったなあ——。これが正直な感想です。広島・呉から上京して、ちょうど2年。芸能界に憧れていただけで、自分が通用するなんて思ってもみなかったけど、不器用な私でもおニャン子の初期メンバーとして何とかやってこれました。もちろん、自分だけの力じゃないことは分かっています。構成作家の秋元康さんを始め、たくさんのスタッフの方々や熱心に応援してくれた親衛隊の人たちのおかげでした。

 前年の86年から本気で「卒業したい」と考え始め、希望を受け入れてもらってから3か月後の卒業です。卒業当日には感極まって「おニャン子の思い出を缶詰に入れ、冷蔵庫に入れて保存しておきたいですっ!」なんてよく分からないことを言っちゃいましたけど(笑い)、この発言は本音でもありました。

 卒業をもって、おニャン子のことは大切な“思い出”として記憶のなかに保存。これからは自分で言うのはちょっと恥ずかしいけど「女優・国生さゆり」として新たな第一歩を踏み出すんだっていう気持ちが強かったんです。だから感傷に浸るのは卒業の日だけにして、明日からは前を向いてこう! 私は希望に満ちていました。

 当時の所属事務所も私を全面的にバックアップしてくれます。卒業前から主演映画(「いとしのエリー」87年4月公開)やシングル曲(「ソレ以上、アレ未満」87年5月28日発売)を決めてくれるなど、あらかじめおニャン子卒業後のことをちゃんと考えてくれていました。だから、私も思い残すことは何もない状態で卒業することができたんです。

 私は「これからは女優・国生さゆりとして、一直線に進める」と何の疑問も持たずに信じていました。ファンの人たちを始め、所属事務所のスタッフの方々も「女優・国生さゆり」を確立するために応援してくれている——。私を支えてくれるみんなのためにも頑張らなきゃ! だからこそ初の主演映画「いとしのエリー」の公開前には、ありとあらゆる媒体の取材を受けたんです。

 ところが! このころの私は口ベタで、自分では一生懸命しゃべっているつもりなのに、「何が言いたいのか、よく分からない」って指摘されることがしょっちゅうありました。バラエティー番組ではお茶の間の好奇心を代表して、ゲストの人たちに聞きづらいことを直撃しちゃう今の私を見ている人には信じてもらえないかもしれないけど(笑い)、本当のことなんです。その欠点が災いして…。