【国生さゆり連載21】推しメンめぐってファンが対立

2012年10月10日 11時00分



【国生さゆりのニャンたま事件簿(21)】 昭和61(1986)年2月1日、念願のソロデビュー曲「バレンタイン・キッス」がリリースされると、私個人のファン=親衛隊の人数が目立って増えてきます。このころには「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系、85〜87年)の視聴率も高い数字で安定していて、番組ユニット「おニャン子クラブ」人気も初期メンバーの私には信じられないくらいにまで高まっていました。

 こうなると、私たちおニャン子メンバーのいわゆる“出待ち”をするファンの人たちが大勢、新宿区河田町(当時のフジテレビ本社の所在地)に押しかけるようになります。番組自体が月〜金曜までの週5日生放送されるわけだから、ファンの人たちにとってはこれほど分かりやすい集合場所もないでしょ(笑い)。

 しかもっ!ファン同士の対立がしょっちゅうあったんです。これってどういうことなんだろう? 最初は私にも理由は分からなかったけど、ちょっと観察したらすぐに答えが出ました。当時、人気トップを争っていた河合その子ちゃんや新田恵利ちゃんたちのファンがそれぞれ派閥をつくっていて、目当てのメンバーだけを応援していたんです。

 今のAKB48でも個々のメンバーには熱心なファンがついていて、ファンの人同士の会話ではしきりに“推しメン(自分が応援しているメンバーのことね)”は誰なのかっていう話題が出るじゃないですか。おニャン子の場合も同じで、推しメンの違うファンの人たちがヒートアップしちゃっていたわけです。そのなかには私の親衛隊の人たちが交じっていることもあって、私は「このままじゃいけない」と判断しました。

 なぜ、すぐに私の親衛隊だと分かったかっていうと、その人たちは独特のファッションだったからです(笑い)。同世代の芸人さんからもよく「おニャン子時代の国生さんの大ファンでしたけど、親衛隊の人たちは暴走族ファッションで身を固めていて、怖くて近づけなかった」と指摘されるんですけど、実際にその通りで、他のメンバーのファンの人たちよりも明らかに気合が入っていました(笑い)。

 ファン同士が推しメンをめぐって、対立しちゃう…。これって、カッコ悪いじゃないですか。だから私は所属事務所に頼んで、親衛隊の人たちと話し合わせてもらったんです。「私の応援をしてくれるのは最高にうれしいけど、同じように他のメンバーのことも応援してほしいな!」って。もちろん、気合が入っている分、ストレートな親衛隊の人たちは快諾してくれました。

 それにしても、おニャン子時代の私の親衛隊の人たちだけファッションが違っていたのは、なぜでしょう(笑い)。他のメンバーのファンの人たちはごく普通だったんですけど、私の親衛隊の人たちはツナギ姿がほとんどなんです。私自身は至って真面目な性格だったのに、今でも謎です(笑い)。