【団塊記者の取材回顧録】

 黒縁眼鏡がトレードマークでナンセンスギャグを連発する爆笑落語で一世を風靡した人気落語家の八代目橘家圓蔵(たちばなや・えんぞう、本名大山武雄=おおやま・たけお)さんが7日午前3時30分、心室細動のため死去した。81歳だった。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で執り行われた。


 高座だけでなくテレビでも人気者に。立川談志さん、五代目三遊亭圓楽さん、古今亭志ん朝さんと並び、「落語四天王」とも呼ばれ、「エバラ焼肉のたれ」のCMなどでもおなじみだった。


 1973年5月20日、本紙のインタビューに大いに語ったことがあった。当時39歳。


 東京・江戸川区の小松川第三小学校(現・平井小学校)を卒業後、家業の紙芝居を手伝っていた。52年、七代目橘家圓蔵に入門して橘家竹蔵を名乗る。55年、升蔵と改名して二つ目に。65年、真打ちに昇進して五代目月の家圓鏡を襲名した。82年、八代目橘家圓蔵を襲名。


 当時は月の家圓鏡の時代で高座だけでなく「お笑い頭の体操」(TBSテレビ系)、「午後2時の男」(文化放送)などテレビ、ラジオのレギュラーを多数抱えて多忙を極めていた。


 高座に息せき切って登場するなり座布団にぺたんと座って「ちょっと休ませてください。何しろ売れっ子なもんで忙しくって」といって笑わせたというエピソードも。


「ぼくは噺家ですからね、やっぱりしゃべりを生かした仕事をしたいんですよ。動きはだめだけど、しゃべりじゃ誰にも負けないと思ってんす」


 売れっ子だけに車で移動と思いきや「電車の方が時間的に早いんすよ。ネタも拾えるし。もう、目に見えたら何でもネタんなっちゃうの」。電車の中でもネタを探す落語家魂を見せた。


 ラジオ出演も多く「ラジオ怪獣」の異名を持っていた。「奥さん」とは呼ばず「おかみさん」と言って下町の主婦像を浮かび上がらせた。また、「ヨイショっと」というかけ声や、愛妻の節子夫人をネタにした「うちのセツコが」のギャグが大ウケした。


 高座で得意にしていたのは古典の「堀の内」と「たいこ腹」。これをやりながらお客の反応を見てその日の自分の好不調がわかるという。


 噺家の心構えについて身ぶり手ぶり熱っぽく語った。「生活面でも、芸の上でも、苦労しなくちゃいけないスね。でも、今の時代豊かになっちゃってね。コロッケ食べる人少なくなっちゃった。たいていハンバーグなんだな。噺家ってぇのは普段はハンバーグ食べてもいいけど、いつでもコロッケを食べられるような状態でなきゃいけないと思うね」。「ウン、ウン」と自分に言い聞かせるようにうなずいて、眼鏡の奥で人懐っこい目が光った。落語一筋、庶民派の噺家で貫き通した。

(元文化部長・阪本良)