肺炎のため78歳で亡くなった喜劇俳優・花紀京(本名・石田京三)さんの告別式が7日、大阪市内の斎場で営まれ、弟子の間寛平(66)やタレント・西川きよし(69)、落語家・月亭八方(67)ら、約50人の芸人仲間が参列。最後の別れを告げた。


 斎場では花紀さんがダウンタウンらと結成した「Re‥Japan」のシングル曲「明日があるさ」のオルゴールバージョンが流された。出棺の際には寛平、チャーリー浜(72)、内場勝則(54)らがひつぎを運んだ。


 吉本新喜劇の「通行人A」でデビューした西川は、花紀さんに怒られた過去を明かす。通行人としてただ通り過ぎる役なのに突然コケるボケをした際、「台本のどこに書いてあんねん。芝居の流れに邪魔になることはするな!」と一喝されたという。芸に厳しかった花紀さんを振り返り、「今ではいい思い出」と懐かしんだ。


 西川が新喜劇を退団し、横山やすしさんと漫才コンビを結成する際には、花紀さんが自分の父である伝説の漫才師・横山エンタツさんと面会する機会を作ってくれたという。エンタツさんが花菱アチャコさんと組んだ「エンタツ・アチャコ」は漫才師として初めて背広姿で舞台に登場、話芸だけで客を笑わせる“しゃべくり漫才”の祖として知られる。


「『漫才やるんやったら、横山エンタツに会うとかなイカンやろ。家へ来い』と家へ連れて行っていただきました。枕元でいろんな話を2時間も3時間も聞かせていただいた。恐れ多くて言葉のキャッチボールはできなかったけど『漫才見とるぞ。頑張れよ』って言われました」


 西川はこの日、花紀さんとの別れの際、「『やすしさんと漫才をやらせていただいた時に、お父さんに会わせていただいてありがとうございました』とお礼を申し上げました。我々にとっては漫才の神様ですから」と感謝したという。やすきよに神様のお墨付きを与えられたのも花紀さんのおかげだったのだ。