人気キャスター草野仁氏(71)ほど年齢を感じさせない人も珍しい。肉体を鍛え続けていることでも知られるが、若々しさの秘密は筋トレ以外にもある。人間関係、家族、生きがい…。確実に訪れる「老い」と、どうやって向き合えばいいのか。このほど「老い駆けろ!人生」を著した草野氏に、中高年が前向きに、楽しく長生きするための秘訣を聞いた。

 ――多くの中高年にとって人間関係は最大の悩みだと思うのですが、草野さんはいかがですか

 草野:そうですね。実は私は人間関係でストレスを感じたことはあまりない。職場で同僚や先輩が、私のことを気に食わないと、ぶつかってきたとします。でも、私はダイレクトに反応しない。腹を立てて衝突したら修復できなくなる。それなら、この人といい関係をつくるにはどうしたらいいのか、徹底的に考えるんです。

 ――我慢するんですか

 草野:若いころはすぐキレたんです。でも、衝突して関係が悪化した時と、それを回避した時を比較した場合、前者のほうがストレスが大きいことが分かったんです。母親からも「相性が良くない人はいるけど、その人のいいところを見つけなさい」と言われて育ちましたから。考え抜いて、それで関係が良くなれば達成感もあるじゃないですか。

 ――それでもダメな場合は

 草野:ここまでやってダメだったんだから仕方ないと割り切ります。失敗しても「ここまで頑張ってダメだったんだから」と前向きになれる。その人のことはもう考えるのをやめて、サッと切り替えて別のほうを見る。年を重ねるほど、こうした「割り切り力」が必要なんです。

 ――家庭内でもストレスを感じている人は多い

 草野:それはコミュニケーションが不足しているからではないでしょうか。私は家族に何でも話しちゃうんです。日本では「家庭に仕事を持ち込まない」というのが美徳みたいになってますけど、私はどんどん持ち込んじゃう。妻や子供からアドバイスを受けたりします。まあ、仕事の愚痴ばかりになったら逆効果ですが…。

 ――結婚当初からそうだったんですか

 草野:昔はひどい父親だったんですよ。NHKの福岡で勤務していたころ、妻から「たまには家族サービスしてほしい」と不満を言われて「では」と小倉競馬場に行って、家族をほったらかしにして馬券買ったり…。引っ越しとかの準備で忙しい時に徹マンやったり…。まあ、自分勝手な男でした。

 ――それが変わったのは

 草野:1985年にNHKを辞めてフリーになってからですね。最初の仕事がTBSの「朝のホットライン」という番組の司会でした。毎朝3時起きしなければならないんですが、妻は頼みもしないのに、1時に起きて食事の支度とかしてくれて。頭が下がりました。以来、妻への感謝の気持ちは忘れません。まあ、あのままだったら、熟年離婚の道をたどっていたでしょうね。

 ――確かに熟年離婚は増えている

 草野:私の周りにも何人かいますね。「オレが稼いでやってるんだから黙ってろ!」的な男性が、定年になって妻に見捨てられるというパターンですよね。私も昔はそうでした。でも後で分かったんですが、NHK時代の私の給料は民放の6割程度。全然稼いではいなかった(笑い)。まあ、今では食事のたびに「これはうまい!」なんて食レポみたいなことをやったりしますよ。1日1回でもねぎらいの言葉を言う。これだけで夫婦関係は改善されると思います。

 ――定年後は「生きがい」を見つけるのも難しい

 草野:日本人ほど年齢を意識する国民はいませんよ。もう、定年だから、70歳だからと生活をスローダウンさせてしまうでしょう。そうすると脳も体も格段に衰えていきます。年齢なんか関係ないんですよ。例えば黒柳徹子さんを見てください。あの方はもう81歳ですが、知的好奇心は全く減退していない。「世界ふしぎ発見!」ではテーマごとに毎週10冊、20冊と関連本を読んでくるんですよ。そして、たくさんの人と会っておしゃべりをする。あの人は一人暮らしですけど、孤独じゃないですよね。

 ――何かに没頭してみるべきだと

 草野:そうですね。何かに関心を持ってやり続けることが大事ですね。そうすると必ず新たな発見があり、それが生きがいにも通じるのではないでしょうか。

 ――草野さんのお好きな競馬はいかがでしょう

 草野:競馬は認知症予防に非常に役立つと私は考えているんです。競馬は1週間のスケジュールを頭に入れることが大事。週明けに出走予定馬の確認、水曜日に追い切り、金曜日、土曜日に(枠順の)確定がある。予想で頭を使うし、お金の計算をするでしょう。これは認知症予防に一番いいんです。
 ――競馬場に行けばストレス発散にもなる

 草野:そうですね。100円単位で楽しめますから。夫婦で行けば、熟年離婚なんてこともなくなるんじゃないですか。

☆くさの・ひとし=1944年、満州・新京生まれ。東京大学卒業後、NHKに入局。ロス五輪の総合司会や3度の五輪中継に携わるなどスポーツアナウンサーとして活躍。1985年にフリーキャスターとなり「世界ふしぎ発見!」「主治医が見つかる診療所」などのMCを担当。幼少時からスポーツ万能で「高校時代100メートル11秒2で走った」「ソフトボール投げ86メートル」「大学時代、助っ人で相撲の国体予選に参加したら優勝してしまった」などの伝説がある。競馬通でダンスインザダーク、ブエナビスタなどGⅠ馬の一口馬主としても有名。