医療事故ではなく、やはり殺人だった!? 6月25日は“キング・オブ・ポップ”マイケル・ジャクソンさん(享年50)の命日で、日本時間では26日に死去した。世界中に衝撃を与えた急死から早6年。生前、親交が深かった「空手道大社」の朝堂院大覚総裁(74)が本紙のインタビューに応じ、マイケルさんと最後に交わした言葉を明かした。その死については依然として謎も多く、陰謀説もささやかれる中、朝堂院氏は“暗殺”への確信を語った。

 マイケルさんが死去したのは2009年6月25日午後。米ロサンゼルスの自宅から救急車の出動要請があり、救急隊が駆けつけた時には呼吸停止状態で、病院へ搬送後に死亡が確認された。訃報が世界中を駆け回ってから6年。「私も聞いたときはびっくり仰天だった」という朝堂院氏は、故人と生前に交わした最後の会話を振り返った。

 その死からさかのぼること数か月前。東京・原宿でばったり世界的人気の英国人歌手ロッド・スチュワート(70)と会った朝堂院氏は、マイケルさんが09年7月からロンドン・O2アリーナで最後と銘打ったライブツアー「THIS IS IT」を開催することや、ロッドの家に泊まりに行くと約束していることなどを知らされた。

 そこでマイケルさんに激励の電話をした。「死の1か月前に電話で話して、ロンドンの公演については『頑張っている』と。若干、健康面に問題はあるとは聞いた。しかし『稽古はやったし、無理な公演はできないが、1回か2回は間違いなくできる』と言っていた」(朝堂院氏)

「THIS IS IT」ツアーは10年3月まで50公演が予定されていたが、1公演も実現せずに死を迎えた。やはり本人も、ツアー完走は厳しいものがあると感じていたということか…。それでも絶対にステージに立つ、という意気込みは持っていた。

 死因は、元主治医による麻酔薬プロポフォールの過剰投与だった。元主治医は過失致死罪で禁錮4年の実刑判決を受けた。その一方、陰謀説がいまだにささやかれているのも事実だ。

 朝堂院氏は「2009年6月25日にマイケルは殺された。元マネジャーから電話があって『殺された』と。それから徹底的に調べ上げていったわけです。元マネジャーと(マイケルさんの)お父さんのジョセフと。そして殺人であることは間違いないと。また殺された直後に、マイケルの側近の人間が『殺された証拠を開示する』と言ったら、なぜか彼もまたすぐに死んだんです」と断言。元主治医の陰に“黒幕”がおり、殺人に至った理由は経済的事情だという。

 マイケルさんはエンターテインメント業界のトップを走ると同時に、児童虐待疑惑(すべて無罪)をかけられるなど、スキャンダルも多かった。本人の強い希望により1997年に日本で極秘密会、翌年にはマイケルさんの正式来日に尽力するなど、公私ともに仲の良かった朝堂院氏の目にはどのように映っていたのか?

「マイケル・ジャクソンは芸能人だというイメージを持っていたけれども、思想的な、哲学的なものまでよく分かった、非常に冷静かつ聡明な人間じゃないかと。マイケルが書いた歌詞を全部見たら『ほれた腫れた』の歌詞じゃない。人種差別だとか、武器を捨てて鍬(くわ)に替えろとか。そして子供を救いましょうと。だから子供を500人、毎週土曜日にネバーランドに集めて開放して、月1億円ほどの経費をかけて提供していた。普通ここまでやらないですよ。それなのに虐待で起訴までされた。マイケルは冷静だから、あまり人の悪口を言ったり怒ったり、過激なことを言わない人なんです。それが(児童虐待疑惑をかけられた時は)怒り狂ってたわけですよ」

 マイケルさんを思い出すかのように語った朝堂院氏。改めてその偉大さを実感している。