サンミュージック相澤社長が明かした「機雷掃海部隊」知られざる歴史

2015年06月14日 10時00分

「掃海殉職者顕彰の碑」の前に立つ相澤社長

 国会で自衛隊の海外での機雷掃海作業が論争の的になっている。実は日本の機雷掃海部隊は戦後の経済成長の過程で、重要な役割を果たしていたのは知られていない。

 本紙を通じて掃海部隊について「ぜひ伝えたいことがある」というのは、ベッキー(31)、カンニング竹山(44)らを擁する大手芸能事務所、サンミュージックの相澤正久社長だ。

 5月30日、相澤社長は香川県琴平町の金刀比羅宮で行われた「第64回掃海殉職者追悼式」に出席した。金刀比羅宮には「掃海殉職者顕彰の碑」があり、毎年この時期に79人の犠牲者のための追悼式が行われている。

「戦後の日本近海には6万7000もの機雷が敷設されていた。日本が防御用に敷設したものに加え、米軍が戦争末期の昭和20年3月から『対日飢餓作戦』と称して下関海峡、瀬戸内海、東京、名古屋の主要航路にB29から1万2000もの機雷をバラまいた。これによって日本の海運はマヒ状態に。戦争が終わっても機雷はそのままで、戦後すぐに民間船が触雷して沈没する事故が続いた。占領していた連合軍最高司令部から指令を受け、機雷を除去する掃海部隊が作られたんです」(相澤社長)

 機雷掃海は命の危険を伴う。元海軍兵らが志願して掃海部隊に加わり、簡素な装備で、海路を復活させるための掃海作業(航路啓開)に従事。その作業中に触雷して命を落とした人がいた。

「日本では伏せられていましたが、国連軍の要請で朝鮮戦争時に北緯38度線を越えた元山でも掃海作業を行っています。ここでも犠牲になった人がいた。当時の吉田茂首相は、占領下にあった日本が連合国各国と平和条約を締結し、日本の主権を回復するために、掃海作業での貢献が必要だと考えていたと言われます」と相澤社長は語る。掃海部隊は日本が独立し、貿易によって豊かになる過程で重要な役割を果たしていたのだ。