1970年代の人気映画「トラック野郎」シリーズやテレビ番組の司会で知られた愛川欽也(本名・井川敏明)さんが15日、亡くなった。80歳だった。愛川さんは3月7日、約20年にわたり司会を務めてきたバラエティー番組「出没!アド街ック天国」(テレビ東京系)の1000回記念放送を最後に公の場から姿を消した後、重病説が流れていた。「キンキン」の愛称と笑顔で発する名ゼリフ「おまっとさんでした」で知られたマルチタレントの急逝で、妻のタレント・うつみ宮土理(71)ら近親者にも衝撃が広がった。

 愛川さんの容体急変という情報がメディア各社を駆け巡ったのは、15日夕刻のことだった。都内の自宅に出入りする関係者は報道陣の問いかけに答えず、16日も同じ状況が続いた。所属事務所は17日午前10時に状況説明の発表をすることだけを明らかにしたが、すでに一部関係者には死が伝えられていた。17日午前、自宅からひつぎが運び出され、遺体を乗せた車にうつみも同乗。密葬が営まれた。

 1995年4月の放送開始から出演した「アド街ック天国」の最終出演分の放送から、わずか1か月あまりでの急逝。「トラック野郎」シリーズでコンビを組んだ名優・菅原文太さんの死去を受けて、昨年12月に故人との思い出を報道陣に語った。その後も今年3月の「アド街」までテレビ出演を続けた。

 同番組降板後「自宅に介護ベッドが運び込まれた」「歩くこともできない」といった報道が相次ぐ中、愛川さん側は一貫して重病説を否定。妻のうつみもテレビ番組や、報道各社へ送ったコメントを通じて「風邪をひいて少しせきが出て…」などと説明し、気丈に振る舞った。自ら設けた都内の小劇場「キンケロ・シアター」では18日から自身も出演する第8作監督作品「満洲の紅い陽」の上映が予定されており、舞台あいさつも望んでいたという。それもかなわぬ夢となった。

「ケロンパ」の愛称で人気のうつみとは78年に再婚。「キンキン・ケロンパ」は芸能界のおしどり夫婦と称された。「キンケロ・シアター」は2人の活動の場だった。それだけに、新作映画の公開直前にパートナーを失ったうつみの心労は想像に難くない。

 前出の「アド街」のほか、81年から96年まで出演した「なるほど!ザ・ワールド」(フジテレビ系)などでの名司会ぶりで知られる愛川さんは俳優、監督として映画の世界でも存在感を発揮。「トラック野郎」シリーズでの文太さんとの共演ぶりは有名だが、タレントとして頭角を現したのは、63年にテレビ映画「ルート66」の日本語版吹き替えを巧みにこなしたことだった。

 それを機に、パーソナリティーを務めたTBSラジオの「それ行け!歌謡曲」(70年~)と深夜放送「パック・イン・ミュージック」(71年~)が好評を博し、「キンキン」の愛称で若者に親しまれるようになった。とりわけ若者から絶大な人気があった「パック・イン・ミュージック」では、「ポール」「タマタマ」「テトラ」「パパイア」「ジンジロゲ」など独特な新造語を交えてしゃべりまくった。

 74年6月には、本紙のインタビューでも仰天の「オチンチン談議」を繰り広げている。原作・脚本・監督・主演した映画「さよならモロッコ」が完成したときで、映画に関するやり取りの途中で「オチンチン」の話になった。

「いやあ、ポールとタマタマのワンセットというか、オチンチンというか――。ぼく、図書館で、パリで出版された『オチンチン辞典』というのをめっけたんですよ。いやあ面白いのなんのって。気取り屋のオチンチン、JISマークの付いたオチンチン、年上の女にばかり愛されるオチンチン、女子大生好みのはすに構えたオチンチン…」

「ラジオでは(自分の局部は)巨大なのだよと誇大宣伝してるんだけど、困っちゃったなあ。まあ、ナミ、人並みですよ」
 こんな奇想天外な話も。

「おれって不思議人間だから、突然変なことをやりだすから。例えばさ、今、第三帝国になる前のドイツにすごく興味持ってるんだ。ここ1か月、世界史の本を買いあさって、ハッチャキになって読んでるんだ。ビスマルクの研究しちゃって、これがまた面白い」

 瞬間湯沸かし器のように何かに凝りだし、それがテレビや映画、DJに生かされ“キンキン文化”として開花させた愛川さん。持ち前のバイタリティーと才能で俳優、声優、ラジオパーソナリティー、テレビ番組の司会など幅広く活躍した生涯が、ついに幕を閉じた。

☆あいかわ・きんや=1934年6月25日生まれ。東京都出身。63年、米テレビドラマ「ルート66」の主役の日本語吹き替えで才能が評価され、71年から「パック・イン・ミュージック」でパーソナリティーを務め、ラジオの世界で人気を博す。テレビでは司会として活躍し、70年代の「11PM」のほか、80年代に始まった「なるほど!ザ・ワールド」、90年代からの「出没!アド街ック天国」などの人気番組で看板となった。「アド街」では2014年、「情報テレビ番組の最高齢の現役司会者」としてギネス世界記録に認定された。映画出演や製作も多く、70年代の「トラック野郎」シリーズが代表作。78年に前妻と離婚した直後にタレント・うつみ宮土理と結婚。仲良しカップルとして歩んできた。