どちらかがぶつけた!? ドロ沼の訴訟合戦は故人を巻き込むガチンコ対決の様相を呈した。昨年1月3日に死去した歌手でタレントのやしきたかじんさん(享年64)を偲ぶ会が3日、大阪市内で開かれた。会は親族と妻に主催者が分かれて2か所で“分裂開催”され、それぞれ約130人、約150人の関係者が集まった。追悼バトルと化した異常事態を呼んだ原因はもちろん、人気作家・百田尚樹氏(58)の著書「殉愛」をめぐる騒動。同日開催は偶然なのか、双方いずれかの意図が働いたのか――。

 異例のダブル偲ぶ会が開催されたのは、たかじんさんが愛した繁華街・北新地がある大阪市北区の別々の場所だった。たかじんさんの最後の妻さくらさん側はホテルで、故人の長女を中心とした親族側はそこから2キロ余り離れたライブハウスで催された。

 さくらさんを中心に描いた、たかじんさんの闘病記「殉愛」の差し止めを求め、長女が発売元の幻冬舎を提訴。1月21日に第1回口頭弁論が行われたが、幻冬舎側は代理人弁護士を含めて誰1人出廷せず。一方、さくらさんもたかじんさんの元弟子で同書の内容に反論した打越元久氏を名誉毀損で提訴するなど、騒動はドロ沼化している。

 出席した関係者の言い分からもドロドロした内情がうかがえる。

 さくらさん側に出席した新党大地の鈴木宗男代表(67)によると、会は司会を辛坊治郎氏(58)が務め、冠番組を持つ読売テレビ、関西テレビ、テレビ大阪の関係者らがスピーチを行った。別の出席者の話では、百田氏も出席し、係争中の「殉愛」について「お騒がせしております。ここで多くのことを言うべきではないですが…」とスピーチしたという。約150人が出席し、安倍晋三首相から花も届いた。

 さくらさんも最後にあいさつに立ち「ご心配をお掛けして申し訳ございません」と語りつつ「本のことは後悔していません」と言い切った。最後はたかじんさんの代表曲「やっぱ好きやねん」を合唱。出席者は「温かい会でしたよ」と口をそろえた。

 一方、親族側の偲ぶ会には古くから親交のある友人らが出席した。親族の一人は「『これぐらいしかしてやれへんから』と父、母の入院費、葬儀の費用もたかじんが出してくれました」と家族愛を強調。「殉愛」内で語られた“家族と疎遠”という内容を否定した。こちらには音楽関係者や引退したテレビマンなど約130人が集まった。

 なぜ、敵対するように偲ぶ会の開催日時が重なってしまったのか。親族側の関係者は「先に決まったのはこっち。後から同じ日の、しかも同じ時間にぶつけてきた。音楽と放送(の関係者)で分かれたことにしたけど、こっちに来るはずだった人もいっぱいいる」と不満を爆発させた。

 3日に開催した理由について、さくらさん側の関係者は「命日は1月3日で正月三が日だから、2月の月命日にした」と主張し、親族側の偲ぶ会とは無関係を強調する。

 親族側関係者は「テレビ局を中心に『こっちに来るように』と圧力をかけていた。局の人間にしてみれば踏み絵のようなもんですよ」と反論。続けて「親族側の代表に偲ぶ会を中止するように求めてきた。もちろん、突っぱねましたが…」と明かした。

 訴訟合戦になったことだけでも、天国のたかじんさんは嘆いているだろうが、さらに亀裂の深さを物語る偲ぶ会となってしまった。

「2つの会があったけど出席したほとんどの人の思いは、たかじんさんを懐かしむことだけ。こんなこと(分裂開催)を望んでいる人はいないでしょう」と親族側関係者は悲しそうな表情で語る。両者間のミゾが埋まる日はさらに遠のいた。