神戸発アイドルが語る震災20年目の思い

2015年01月18日 11時00分

芽衣

 阪神・淡路大震災から17日で節目の20年を迎えた。当時、生まれたばかりの赤ちゃんも成人となった。新成人の中にはメンバー全員が神戸市生まれのご当地アイドル「KOBerrieS♪(コウベリーズ)」のキャプテン・芽衣(20)もいる。芽衣は震災発生時に生後12日。生まれ故郷を突如襲った震災の話はこれまで両親などから聞いてきた。大人になった今、語り部として本紙に秘めた思いを語った。なお、この日朝、神戸市など各地で追悼イベントが行われた。

 

 

 ――6434人の命が奪われた阪神・淡路大震災から20年という月日が流れた。震災発生12日前の1995年1月5日、神戸市兵庫区で誕生。同区でも555人が亡くなり、大きな被害があった


 芽衣 帰っててよかったのか、病院にいた方がよかったのかは分からないですけど、11日に病院から家に帰っていたと聞きました。私の家自体は無事だったんですけど、もちろん家の中はぐちゃぐちゃになって足の踏み場もなかったそうです。ご近所には倒壊した家もありました。地震が起きる1時間前ぐらいに、小さかった私はミルクが欲しくて母を起こしたそうです。それで「芽衣が満腹だから寝ようか」という時にグラッときた。お母さんが芽衣をかばって、上にお姉ちゃんが2人いるんですけど、揺れてすぐにお父さんが起きてお姉ちゃん2人をかばった。なんとか今も元気に過ごしています。お母さんは起きててよかったと言っていました。


 ――震災の直後に触れた優しさを後に聞き、感謝の気持ちを忘れないと誓っているとか


 芽衣 水道が止まり、両親は井戸水をくみに行ってたんですが、家に赤ちゃん(私)が生まれたばかりで大変だろうと、ご近所さんが水をたくさん使うだろうからと一緒に運んでもらったそうです。助けてくれた方には本当に感謝したいです。


 ――生後間もなかったため、震災当時の記憶はないだろうが、阪神・淡路大震災を認識したのは


 芽衣 小学校1年生のときから毎年1月17日は黙とうをして被災した方を学校に招いて話を聞いていました。生後12日だった私も震災を覚えていないので話を受け継ぐ側。話を聞いて意識するようになりました。お母さんに話を聞いたり、写真や映像を見たりしました。当時3歳だったお姉ちゃんは少し覚えていて「揺れて怖かった」と言ってました。話を聞いて思うのは大変という言葉じゃ済まされない出来事だったということ。実際に被災された方の話を聞いて、そのまま次の若い世代に語り継いで、もっともっと防災への意識を高めてもらいたい。いつどこで起こるかわからないので、全国のみなさんにも意識を持ってもらいたいなと思います。


 ――KOBerrieS♪としての活動では、震災の語り部を自任しているとも


 芽衣 正直な話、小学校のころとかは軽い気持ちで聞いていた部分がある。ただ地震って怖いなと思うだけで。でも大人になっていくにつれて命のありがたみを重く知るようになった。20年たち、私も大人になった。地震が起きてもお母さんのように周りの人を守れるような強い人になりたいなと思うようになりました。若い世代はホンマに知らないと思うので、語り継いでいかないと、という思いが強い。KOBerrieS♪という仕事をしているので、アイドルという立場だからこそ、いろんな人に知ってもらえたらと思います。


 ――14日に発売された新曲「思い出エール」は発生から20年を迎えた被災地を元気づけようと、神戸出身のガガガSP・山本聡が制作し、KOBerrieS♪が歌った。オリコンデイリーチャートでは11位


 芽衣 歌詞を見ると胸にくるものがある。背中を押してくれる曲なので、もっとたくさんの方に聴いてもらいたいです。