「これもらえまっか?」石井光三さん“弁当伝説”の真実

2015年01月14日 17時00分

大声で豪快だった石井さん(2003年のインタビューから)

 芸能プロダクション「石井光三オフィス」の石井光三会長が6日午後6時5分、胆管がんのため都内の自宅で死去していたことが13日分かった。83歳だった。幼少時から子役として芸能界入りし、役者として活動。その後、マネジャー業に転身、1983年に独立し「石井光三オフィス」を設立。「コント赤信号」などを育てた。名物社長として知られ、自ら「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)、映画「女衒」(ぜげん)などに出演。中でも広く知られた「弁当伝説」の真相などが関係者の口から語られた。

 石井会長は渡辺正行(58)、ラサール石井(59)、小宮孝泰(58)のお笑いトリオ「コント赤信号」をはじめ、女芸人コンビ「ピンクの電話」、磯野貴理子(50)、内山信二(33)らを育て上げ、2006年に社長を退き、会長に就任した。

 1980年代に放送された伝説の人気バラエティー番組「オレたちひょうきん族」には自らタレントとして出演し、アクの強いキャラクターで人気者に。70、80年代に始まった日本テレビ系の情報番組「ルックルックこんにちは」や「午後は○○おもいッきりテレビ」にも出演した。石井会長といえば、有名なのが「弁当伝説」だ。テレビや映画などの現場で出される弁当で、誰も手をつけず残っているのを見ると「これもらえまっか?」と集めた。これをモノマネしたラサールは13日、会見し「弁当ありまへんか?」と交えながら「人間としてもああいう人に会ったことはない、絶対に超えられない」と言葉を詰まらせながら語った。

 石井会長のキャラクターに目を付けたのが「ひょうきん族」のプロデューサーだった故横澤彪氏(享年73)だ。

「視聴者はラサールがマネしているのが誰か分からないから、石井社長本人も出演し、ラサールと共演させた。するとすぐに人気が出て、オファーが来るようになった」(テレビ局関係者)

 マネジャーは裏方に徹するのが美徳とされていたが、石井社長は好んで表に出ていった。

「一度『コント赤信号の誰か1人、出てもらえませんか』というオファーがあったが、たまたまトリオの仕事とカブっていた。すると『石井光三なら空いてます。ギャラは安くてもいいんでどうですか?』と売り込んできた」(イベント関係者)

 弁当伝説は決して“がめつい”からではない。

「確かに、帰りにはいつも最低2、3個くらいのお弁当を持ち帰ってました(笑い)。でも捨てるのならもったいないという気持ちと、楽屋にモノを残すなという所属タレントへのしつけだったんです」とは別のテレビ関係者。故人の遺志で、近親者のみで11日にしめやかに営まれた告別式では「コント赤信号」の3人が揃い、ひつぎをかついだ。リーダーの渡辺は、ブログで「『赤信号宜しくお願いします!』と俺達が恥ずかしくなるような大声で営業し、仕事で出た弁当は、必ず持って帰る。帰る時、楽屋の台本・ごみは必ず持って帰る…色々な事を教えてくれた」とつづった。

 石井会長は過去、本紙のインタビューに応じて「ボク思うに、2番手が一番トクですねん。森繁久彌も緒形拳も高倉健もいらん。1番手は金入って来るのも多いけど出て行くのも多い。2番手育てるのがうちのプロダクションの趣旨や思うてます」(93年)と経営理念を披露。94年くらいから糖尿病を患っていたこと、たばこは「ケツから煙が出るほど吸うとります」と、缶ピースを1日30~50本吸っていることも明かしていた。

 息の長い個性派芸人を育て上げ、多くのテレビマンたちの心に残る“名物社長”の死を悼む関係者は多い。なお「お別れの会」については現在検討中だという。