芸能評論家が語る文太さん「晩年は人のため」

2014年12月02日 11時00分

肥留間正明氏

 亡くなった菅原文太さんについて芸能評論家の肥留間正明氏は「文太さんは東北の仙台出身だったので、東北の後輩の役者などに『これからはお前の番だ!』とハッパをかけている姿が印象に残ってますね」と振り返る。

 

 2011年の東日本大震災が文太さんの芸能人生を大きく変えたといわれている。「福島出身の西田敏行と被災地支援活動を一緒にしていましたけど、『西田! これからはお前がやれ!』と声を掛けてましたよね。西田が借りてきた猫みたいになっていた」と肥留間氏。


 2007年に膀胱がんを発症したが、肥留間氏は「良くならないことは分かっていながら、やり残すことのないよう、若いやつに何かを伝えようと、晩年は『人のため』というのを感じましたね。山梨で農業をやっていたことも仕事じゃなく、“人のため”という思いがあったと思うけど、だからこそまだ心残りがあったと思う」と語った。


 また、芸能リポーターの石川敏男氏は「僕が松竹の映画宣伝部にいた時代、松竹でヤクザ映画を作ってたころかな。新東宝から菅原さんが安藤(昇)さんと一緒に松竹に移ってきた」と振り返る。


 松竹では安藤さんの主演作「男の顔は履歴書」(1966年)に出演し、67年に東映へ移籍。東映で高倉健さんと文太さんは2大スターとなった。


「ぶっきらぼうに見えて実は人への優しさだったり、細やかさなど性格は似ていたんじゃないかって思う。というのも僕が松竹を辞めて、週刊誌に移ってから何年もたったころ、偶然、菅原さんと六本木でお会いしたんです。松竹のころは何度かお会いしていたけど、アルバイトみたいな感じだった。でも、ちゃんと僕のことを覚えていてくれててね。『(松竹を)辞めちゃったのか?』と優しく声を掛けてくれた」と石川氏。


 取材する側に立ってからは「残念ながら取材する機会がなかったんですけど、その時のことが一番思い出に残っている」と語った。