文太さん晩年は歌舞伎町の駆け込み寺支援「トラック野郎」衣装をオークションに

2014年12月02日 11時00分

玄秀盛代表

 亡くなった菅原文太さんが俳優を実質的に引退した後、支援していたのが東京・新宿歌舞伎町の「日本駆け込み寺」の活動だ。玄秀盛(58=げん・ひでもり)代表は5年前に文太さんのラジオ番組「日本人の底力」(ニッポン放送)にゲスト出演して意気投合。それ以来、支援を受けていた。


「定期的にお米やトウガラシなどの野菜のほかにも、一昨年の10周年イベントのときは『オークションに使って』と映画『トラック野郎』の衣装30着、出演映画のDVD30枚も提供いただいた。お会いすると、各界の方々を紹介してもらいました」(玄代表)


 2012年に文太さんが国民運動グループ「いのちの党」を結成したときは呼びかけに玄代表も共鳴し、発起人として参加。文太さんは、3・11での故郷の被害に心を痛め、第1次産業の大切さなど、日本の未来を憂いていたという。


「私が『たった1人に関わることしかできん』と言うと、文太さんも『その通り。一人ひとりの命にこだわることが大事』と、私がこれからやる受刑者が出所後、働ける居酒屋にも賛同していただいた。間もなく開店する店にも『絶対行くよ』と言ってくれまして、店内の壁にサインをいただく予定でした」と玄代表。


 任侠映画のスターとして「仁義なき戦い」シリーズでヤクザを演じたこともあり、文太さんは元暴力団員が多い出所者のケアに「出た後は行き場がないだろうからな」と支援を約束していたという。


 文太さんは2~3か月前に山梨を離れ、文子夫人と福岡市内に転居したばかりだった。


 玄代表は「最近は、少しやせられていたが、姿は映画スター時代の俳優のままでしたが、気持ちは日本を憂い、命を救う活動家でした。『玄ちゃん!』と声をかけてもらえないのはさびしいですね」と肩を落とした。