ジョニー大倉さん 病院の「パフェ」が生きるパワー

2014年11月29日 09時00分

今年4月、東京・銀座で行われた復活ライブで熱唱したジョニー大倉さん

 壮絶!! だけど“甘い”闘病生活だった。肺炎のため19日に死去していたことが27日に明らかになった伝説のロックバンド「キャロル」のギター兼ボーカルで、俳優としても活躍したジョニー大倉さん(本名・大倉洋一=享年62)は、最期まで本格的なステージ復帰を目指していた。肺に患ったがんと闘い続け、この1年半は激怒あり、スイーツあり、セルフプロデュースにベッド上での仁王立ちあり…と、最期の最期までロック魂を見せつけた。そんな不屈の闘病秘話を公開する。

 ジョニーさんは19日午後5時56分、肺炎のため入院先の東京・日本赤十字社医療センターで天国へ旅立った。関係者によれば、28日に都内で親族のみで告別式が執り行われるという。

 生前のジョニーさんは、矢沢永吉(65)らとともにリーゼントヘア&革ジャンの4人組バンド「キャロル」で活躍。「ファンキー・モンキー・ベイビー」などのヒットを飛ばした。1972年にデビュー↓75年に解散と活動期間は約2年半の短いものだったが、強烈なインパクトを残した。かつての盟友で一時は確執もあった矢沢も「非常に残念です。心からお悔やみ申し上げます」とのコメントを発表した。

 ジョニーさんはのちに個性派俳優として活動。81年の映画「遠雷」では日本アカデミー賞優秀助演男優賞に輝いた。

 闘病生活は長期に及んだ。2009年に悪性リンパ腫が発覚、13年には15個もの肺がんが見つかり、医師から余命2週間という絶望的な宣告を突きつけられる。それでも不屈の精神で抗がん剤治療を続け、今年4月には奇跡の復活ライブをやり遂げた。

 ただ、往年のリーゼントの面影はなく、髪はすっかり抜け落ちていた。8月に再入院。リハビリに取り組んでいたが、10月に肺炎にかかり悪化した。口癖のように「もう一度ステージに立つ」と語っていた病との闘いは壮絶かつ豪快だった。

 友人の出版プロデューサー高須基仁氏(66)は今年春ごろ、妙な噂を聞きつけ「お前何か怪しいものやってんじゃないか」と電話で問い詰めたことがあるという。ジョニーさんは「やってねぇよ!」と激怒。激しい口論になった。高須氏は「それっきりになってしまった。寂しい」と肩を落とす。

 ワイルドな風貌の通り豪快な性格で知られるジョニーさんだが、実は甘い物が大好きで“スイーツ男子”でもあった。

「病院ではウオーキングをしてリハビリし、食欲も旺盛でしっかり栄養を取っていた。病院食をペロリと平らげるだけでなく、車イスで院内のレストランに通いパフェをほおばるのを生きがいの一つにしていたようです。抗がん剤治療で普通は激ヤセするのに、体形(173センチ、78キロ)はふっくらしたままでしたから」と芸能関係者は明かす。

 病室での楽しみは映画界の巨匠・黒澤明さん、大スター・三船敏郎さんのコンビで61年にヒットした映画「用心棒」のDVD観賞。

「ポータブルプレーヤーを持ち込んで何十回と見ていた。痛快な勧善懲悪モノが好きだったようです」(前出関係者)

 写真集、CD、DVDなどを収めたソロデビュー40周年記念商品「JOHNNY ROCK’N’ROLL」(12月24日発売)は、自らディレクションした。出版関係者は「キャロル時代に写真家の加納典明氏に皇居などで撮ってもらった秘蔵写真があったそうで、ジョニーさんは『○×社に問い合わせればポジ(フィルム)があるから取り寄せてくれ。40周年記念商品に入れよう』と病床から熱心に指示していた」と明かす。同商品はまさに“遺作”となった。

 さらに前出芸能関係者によると、ジョニーさんは死の直前、ありえない“不屈のロック魂”を見せたとか。亡くなるわずか数時間前の19日午前、寝たきりだったジョニーさんはこうつぶやいたという。「自分の足で立ちたいんだ」――。見舞っていた家族の肩を借りながらも、ベッドの上で仁王立ちした。その直後の午後1時に容体が急変。夕方に息を引き取った。

 亡くなる寸前まで復帰への意欲を失わなかったジョニーさん。

 天国でもロックを熱唱しているに違いない。