健さんは寡黙ではなかった!? 1989年公開の映画「あ・うん」で高倉健さんと共演した板東英二(74)が18日、秘話を明かした。84年に放送された「日本生命」CMでのセリフ「自分、不器用ですから」が代名詞で、「ゴルゴ13」の主人公デューク東郷は健さんがモデル。だが、素顔は気さくで口数も多い大スターだった。

 レギュラー出演するTOKYO MXの「バラいろダンディ」出演前に取材に応じた板東は、健さんについて「自分自身よりも大事だと思っていた人。何の知らせもなく自分の前から消えるなんてあり得ない。健さんらしくない。細やかな人ですから」と力を込めた。健さんはよく、板東宅を突然訪問することがあった。「いつも夜の11時ごろだった。野太い声で『高倉です』と。何べん転居しても必ず来ましたから」。健さんは必ず手土産を持って訪れるが、部屋に上がったことは一度もない。「いつも玄関であいさつだけして帰っていくんです」

 無口なイメージの健さんだが、板東は「寡黙でも何でもない。何時間でもしゃべります。プライベートのことでもね。言うてええんかな? 江利チエミさんとの話とか東映から脱走した話とか」と明かす。

 また「面白い話してやろうか」と、こんな話をしたことも。ヤクザ映画への出演が多かったころに松山ロケに行った際、現場で黒い服を着た100人の男性に「お疲れさまです!」と言われたことがあるという。

「健さんは『迷惑がかかるから、ああいうことはやめてほしい』と東映に電話したら翌朝、白のトレパンとシャツを着た100人に『おはようございます!』と言われた。健さんは『そういうことじゃないのに…』と言っていた」

 健さんはイメージとは正反対に板東を相手に延々としゃべり続ける。

「これが何時間も続く。おかしいでしょう?」

 健さんは映画の撮影中、出番がなくても現場に立ち続けたのは有名な話。「嫌みですよ。朝から晩まで、ただただ立ってる。やりにくくてね。『もう帰ってください』とお願いしたことがあるけど『勉強させていただいてます』って言って帰らない」

 映画「あ・うん」で健さんは“門倉”という役名だったが、板東がセリフを間違え「おい、高倉!」と言ってしまった。「そしたらスッと立ち上がって『門倉です。呼び捨てにされたのは久々です』。NGでしたけど、こういう時には素晴らしい反応をしてくれる」

 同作で板東は多くの助演男優賞を受賞したが、これにも健さんの“アシスト”があった。原作の舞台は仙台だったが、映画では高松という設定に変更された。これは高松と同じく四国の徳島出身の板東のために、健さんが提案したという。

「仙台では方言が難しい。高松にしたら、彼は普通にしゃべればいいわけだから、と言ってくれたらしい。僕は普通にしゃべって、それを『うまい』と思ってもらえた」

 板東が転倒するシーンで降旗康男監督から演技指導を受けた際、健さんに「その通り、頭の中に入れて転びなさい」と言われたという。そのシーンの撮影が終わると健さんは「板ちゃん、今年の暮れは騒がれるよ」と“予言”。「そしたら助演男優賞を取った。健さん、見てて分かったのかな?」

 健さんの病気のことは知らなかったという板東。「ホントにひきょうな人です。自分のことだけ考えて、最期を全うするなんてアカン。みんな、まだまだいい映画を待ってるのに…。もう一度、あのゴツイ手を触りたいですね」と涙を浮かべた。