高倉健さん たけしに語った「恋愛観」「漫才挑戦」

2014年11月20日 06時30分

映画「網走番外地 荒野の対決」の撮影で取材を受ける健さん(1966年11月)

 その渋さとカッコ良さに日本中の男女が憧れた名優・高倉健さんが、10日に悪性リンパ腫のため都内の病院で死去したことが、18日に明らかになった。83歳だった。役者仲間の前でも俳優・高倉健を貫き、私生活を一切見せなかった健さんが「たけちゃん」と呼び続け、30年来の友情を温め合ったのがビートたけし本紙客員編集長(67)だ。これまで本紙がたけしから聞いた、人間味あふれる“健さん伝説”を一挙に特別追悼公開する!

【ビートたけし本紙客員編集長が明かした健さん伝説(1)】健さんから、最後まで「一緒に映画撮ろう」と言われていたたけしはショックの色を隠せないという。たけしが初めて、健さんに会ったのは1985年に公開された映画「夜叉」だった。

「ロケ先の福井に向かったら、健さんが駅のホームで待っててくれたの。雪の中で花束を抱えてね。『たけしさんですか。高倉健です。私の映画に出てくださって、ありがとうございます』。電車から降りたらそう言われてさ。花もらっちゃってさ。ああ、今のは高倉健だ。どうしよう、参ったなと思った。何でも言うことを聞こうと思った」

 撮影では、健さんは出番がないときでも、現場を訪れた。

「雪の中のすごい寒い中の撮影で、差し入れを持ってきてくれたんだ。でも、健さんは絶対に座らないし、ドラム缶の火にあたらないから、オレたちも座れないし、火にあたれない。『皆さん仕事してるのに、私だけあたれません』って言うから、『あなたがあたってくれないと、誰もあたれないです』って言ったら、あたってくれた。健さんが『何か、ボクにできることはないですか?』って言ってくれるんで『帰ってください。みんなが気を使ってしょうがないから』って言っちゃったよ」

 健さんは他の現場でも絶対に火に当たらなかった。そして、2012年公開の「あなたへ」で27年ぶりに共演。健さんはたけしに「たけちゃんがラジオで『座らないし、火にもあたらない』って言ったから、それ以来、現場で座れないし火にもあたれなくなった」とこぼしたという。さすが健さんといったところだ。

 しかし、たけしは「別の人から聞いたんだけど、旅館に帰った健さんが着替えるところを見たんだって。そしたら、下にミンクのシャツとミンクのももひき。その人は『健さん、エベレストでも平気じゃん』ってずっこけたってさ」。

 健さんが漫才をやろうとした伝説もたけしが明かしたものだった。「お笑い芸人が映画賞を取るようになったから、ラジオで『役者よりお笑いの方が芝居がうまいじゃねえか』『何なら役者がお笑いやってみろ』って言ったことがある。そしたら、健さんが田中邦衛に『漫才やろうか』って言ったらしいよ。だけどネタ合わせやったらお互い無口で『こりゃムリだ』とすぐにやめたって(笑い)」

 たけしはかつて、健さんの恋愛観を聞いたこともあった。

「健さんと共演した時、オレが『健さん、酒も飲まないし、女っ気がないし。女に興味がなくなったの?』って尋ねたら、『たけちゃん、オレはホモじゃないぞ!』って言うんで『いや、分かってますよ』。で、健さんは『これまで遊んだことは遊んだ。けどね、もう女なんてどうでもよくなっちゃって、面倒くさいんだ。話すんだったら、男との方がいいしな。女と変なことする気はさらさらない』って言うんだ。『へー、年とったら、そうなるの?』って聞いたら、『オレはちょっと早い方かもしれないけど、60過ぎたらみんなそうなるよ』。本当に言う通りだったね。自分が60すぎてみると、うまい酒飲んで、おいしいもの食って、バカ話してると楽しいんだ。やるために一生懸命にねーちゃんを口説くよりいいもんだぜ」

 また、健さんは「一緒に映画を作りたいから、たけしさんの連絡場所を教えてください」と、人づてにたけしの事務所の電話番号を聞いたこともあった。直接電話して「もしもし、高倉健です。たけしさんと連絡を取りたいんですが」と言うと、事務所スタッフはまさか健さんから電話がかかってくるとは思わずに「何言ってんだ、この野郎」とあしらった。それでも再び、「高倉です」。スタッフは「松村邦洋だろ、モノマネばっかりしやがって」と言って切ってしまった。

 後日、電話をかけてきたのが健さん本人だったことを知ったたけしは健さんの連絡先を聞いて、電話をした。「一緒に映画を作りましょうという話だったんだよ」とたけし。

 だが、その製作話は実現しないまま、健さんは逝ってしまった。