【高倉健さん追悼・須藤甚一郎氏】健さんで僕が思い出すのはホモ疑惑への対応だよね。ある有名ジャーナリストが、健さんの名前こそ出してないんだけど、書かれた文章を読めば「高倉健が同性愛者でエイズにかかり、パリのパスツール研究所でお忍びで化学療法を受けている」と読み取れるものを書いて、噂というかデマが流れたことがあった。

 1988年の健さん主演で世界で最も過酷なレースのパリ~ダカール・ラリーを描いた「海へ See you」の製作発表会見の時だったと思う。みんなそれについて聞きたかったんだけど、いきなりは聞けないよね。でも、健さんは自分から「パリには行って来ましたけど、パスツール研究所には行っていません」と切り出して。ずっと噂は付いて回った人だけど、そういうビッグスターの男らしさはあった。

 ホモの噂でいえば、昭和46年(71年)に江利チエミさんと離婚した時。チエミさんは記者会見を開いたけど、71年に創刊された女性誌「微笑」の若い記者がいきなりチエミさんに「ホモの噂がありますが…」とストレートに聞いてね。会場がシーンとなる中、チエミさんが「そんなことはない」と離婚の原因を否定していたのも思い出すね。

 健さんは江利チエミさんが亡くなってからもお墓参りをしていた話も聞いたことがあるよ。女優の清川虹子さん(享年89)はお母さんのようにチエミさんをかわいがっていてね。もちろん健さんとも付き合いがあった。健さんの自宅のすぐ近くの「法徳寺」に墓地があるんだけど、命日には清川さんをはじめ知人やファンが集まったりしてた。僕も命日を取材したこともあるんだけど、健さんはそこには来ない。でも清川さんは、誰もいなくなった夜とかにお墓をお参りしている健さんの姿を見たと言っていたよ。当時はきっと健さんが来たら、マスコミもファンもどっと押し寄せてしまったからね。静かに会いたかったんじゃないかなと思うよね。(目黒区議、元芸能リポーター)