本紙記者にも届いた健さんからの手紙

2014年11月18日 16時42分

速達で届いた高倉健さんからの礼状

 亡くなった高倉健さんに2000年、「第42回ブルーリボン賞」(東京スポーツ新聞社などスポーツ紙7社の映画記者による選出)の「主演男優賞」(=「鉄道員」)受賞インタビューをさせていただいた。

 

 めったに会えない大物の取材に当時、記者も興奮したのを覚えている。

 

 インタビューが始まると、健さんは促しても着席しない。取り囲んだ7紙の記者たちも、もちろん座れない。

 

 各社記者が自己紹介を済ませても着席されない。映画の撮影現場では、絶対に座らないという“伝説”を思い出した。立ったままのインタビューか?と思ったころついに腰掛かけた健さん。

 

 それに追随して座る、記者たち。

 

 すると健さんが再び立ち上がる。こうした立ったり座ったりを繰り返す緊張した空気が場に流れた。

 

 さらに追い打ちをかけるように映画関係者から、ブルーリボン側の受賞の報告→アポイントまでの“不慣れ”な一連の流れを叱責する言葉が飛び出した。その場は水を打ったように静まり返った。

 

 これを救ったのが健さんの「そんなに、言わなくても、いいんじゃない。ねえ」との言葉と朗らかな笑顔だった。映画のワンシーンを見ているようだった。これで場は一気に和んだ。

 

 1時間を超すインタビューで、一人冗舌に語り続ける健さんの姿に正直、驚いた。

 

 1984年の日本生命のCMで「自分、不器用ですから」と、渋くつぶやく健さんを思い描いていた記者は、いい意味でイメージを覆された。

 

 日本映画を愛するがゆえ、あえて苦言を呈した。今でも思い出す言葉が「俺は、今、映画に食わしてもらっているのではない。CMに食わしてもらっている」。

 

 その後、健さんはチャン・イーモウ監督の「単騎、千里を走る。」(2005年)に主演し、現場の中国人たちとの心の触れ合いにより、心境が変わりCMにほとんど出演することがなくなったという。

 

 インタビューでは北野武監督に対する敬意を忘れていなかった。「たけし君がヤクザの台本を書くなら出たい」とラブコールを送った。

 

 一度、北野監督にも健さんとの“合作”を聞いたことがある。北野監督は、「そりゃ、許されるなら健さんのヤクザ映画は撮りたいよ。健さんが主役でさ」と語ったことがあった。健さんは天国で北野監督の台本を待ち続けているのかもしれない。

 

 最後に――。

 

 ブルーリボンのインタビューが掲載された数日後、記者に健さんから署名入りの礼状が速達で届いたので、紹介したい。

 

「急啓

 

心が熱くなり、時の経つのを忘れる不思議な時間でした。

 

皆さんの映画を愛するお気持ち確かに戴きました。

 

一所懸命やってみます。

 

どうぞ、ご支援下さい。

 

本当にありがとう。 不一 2000年1月27日 高倉健」

 

                               合掌。

 

                            (吉沢信之)