【国生さゆり連載1】芸能界入りのきっかけは部活

2012年08月22日 12時00分

 いまや「AKB48」の存在は、子供から老人まで浸透した。メンバー個々の名前と顔は一致しなくても、誰もがAKB48を知っている。プロデューサー・秋元康氏(55)の大人数ユニットという奇抜なアイデアが成功の最大要因だが、そのルーツは1980年代にファンを熱狂させた「おニャン子クラブ」にある。おニャン子の初期メンバーで“元祖秋元アイドル”国生さゆり(45)が当時を振り返りつつ、「アイドル戦国時代」に斬り込んでいく――。



【国生さゆりのニャンたま事件簿(1)】それにしてもビックリしました。あの東スポさんに私の自伝的な連載を依頼していただけるなんて。だって、私も「宇宙人が!」とか「カッパ出現!」とかっていう1面のとき(そうじゃない日も、ですけど)の東スポさんはちゃんと読んでるんです。これって、名誉なことなの? それとも私が宇宙人並みってこと?? ちょっとだけ悩みましたが、とってもすごいことなんだ、と自分に言い聞かせて連載をやらせていただくことにしました。

 今でこそ女優業中心で仕事をさせていただいてますけど、芸能界への興味はまるでなかったんです、私。厳しい父親と優しい母親に育てられて、すくすくと成長し、気がつくとスポーツ大好き少女になっていました。小学生のときから特にバレーボールが大好きで、昭和54(79)年に中学に入学すると同時にバレー部の門を叩きました。

 ところが! 中学に入学したばかりの私の身長は140センチ台で、アタッカーは到底、無理。アタッカーになれないんだったら、バレー部に入部する意味なんてない。えっ、なぜ意味がないかって? 私は、大ヒットしたスポ根アニメ「アタック№1」(69~71年、フジテレビ系)の主人公・鮎原こずえと自分を完全に同一視していたのです。だから、こずえと同じポジションのアタッカーじゃないとバレーをやる意味がなかったんです。