俳優・林隆三さんが4日、腎不全のため都内の病院で亡くなっていたことが9日に分かった。70歳だった。故人の遺志により近親者のみで通夜・葬儀を先週末に済ませた。亡くなる1週間前には、元気にライブをしていたのに…まさかの訃報に関係者は驚く。林さんが最後の仕事場で見せた「優しさとプロ意識」のマル秘エピソードをキャッチした。

 林さんは1966年に俳優座養成所を卒業し、翌年、NHKミュージカル「ある愛の奇跡の物語」でデビューした。70年にTBS系「俄」でドラマ初主演すると、翌年のNHKドラマ「天下御免」や74年の映画「妹」などで人気を集めた。その後もドラマや映画で活躍。77年には新藤兼人監督の「竹山ひとり旅」で第1回日本アカデミー賞主演男優賞を受賞。最近は宮沢賢治童話の朗読公演にも取り組んでいた。

 林さんを知る芸能プロのベテランマネジャーは「“ザ・役者”という感じの人だった。とにかく芝居が好きでマジメ。あまり遊んだりしないで、芝居のことばかり考えていたんじゃないかな。まったく偉ぶることもなく、下っ端の人間にも自分からアイサツするタイプで、みんなから好かれていた」と在りし日の林さんの人物像を語った。

 マジメで礼儀正しい――。それは林さんの私生活にも表れていた。約20年間にわたって付き合ってきた林さんの近隣住民のAさんはこう語る。
「本当に気さくで、隣のおじさんといった感じでした。いつも声を掛け合っていました。撮影が終わると『何々(出演作)やるから見てね』と電話がありました」

 林さんは、女優青木一子(70)と99年に離婚。その後は1人で横浜市内の自宅に住んでいた。Aさんが冗談めかして「早く奥さんを連れて来れば?」と言っても、まったく女性の影はなかったという。

 そんな林さんに“異変”が起きたのは昨年のこと。ジム通いをするなど健康的な生活をしていたが、手術を受けた。腎臓の手術だったようだ。Aさんは「今思えば、最近はちょっと痩せてて顔色が悪かったのかもしれません」と明かした。

 だが、林さんはそんな病状などおくびにも出さず、先月28日には東京・目黒区のライブレストラン「ブルース・アレイ・ジャパン」でライブを行った。約25年ぶりの本格的な音楽活動だったが、これが最後のステージとなった。同店スタッフは「驚いているということに尽きます。いいライブをやられて『またやりましょう。お疲れさまでした』と声をかけてくださり帰られたのに…。当日もメンバーさんと一緒に一番乗りで、随分早い時間に会場入りされました。心配するようなことは何もなかった」。

 林さんのライブにかける思いは相当なもので、当日の衣装は最近わざわざ米・ニューヨークまで出向き、購入したものだった。「ニューヨークに行ってきたよ。衣装を買ってきたと言っていました」とAさん。体力的にはきつかっただろうが、林さんのプロ意識の高さの表れに違いない。

☆はやし・りゅうぞう=1943年9月29日生まれ。東京都出身。立教高校中退後、63年に俳優座養成所に入所。同期から原田芳雄、地井武男、栗原小巻、太地喜和子ら多くのスターが生まれ「花の15期生」と呼ばれた。66年にデビュー後、映画からテレビ、舞台など幅広く活躍。NHK大河ドラマも73年の「国盗り物語」のほか、「黄金の日日」「利家とまつ」など多数に出演。84年にはフジテレビ系「真夜中の匂い」でテレビ大賞・個人演技賞に輝いた。長女の林真里花は女優・声優。長男・林征生さんは元俳優。