フリーを拒否し続けた山本文郎さんの“TBS愛”

2014年02月28日 16時02分

TBS愛を貫いた山本さん(2005年7月、都内のすし店で)

 肺胞出血のため26日に死去した元TBSアナウンサー山本文郎さん(享年79)の死を惜しむ声が、一夜明けた27日も関係各方面で聞かれた。「文(ぶん)さん」の愛称で親しまれた山本さん。数々のエピソードで、その“TBS愛”があらためて浮き彫りになった。

 死去したのが平成26年2月26日午前2時6分だったため、遺族が「やっぱりTBSの『6』がからんでいた。TBSを愛していたんでしょうね」と語った山本さん。1957年にTBSの前身であるラジオ東京に入社し、TBSがテレビ放送を開始してからは看板アナとなった。76年から87年までは夕方のニュース番組「テレポートTBS6」、さらに87年から96年まで朝のワイドショー「モーニングEye」の司会を務めた。

「全国ネットで月~金曜の帯番組は、『笑っていいとも!』のタモリ、『とくダネ!』の小倉智昭、『ミヤネ屋』の宮根誠司などを見ても分かるように、莫大なギャラが発生する。でも山本さんはずっと局アナとして出演していたから、ギャラは給料だけだった」(テレビ局関係者)

 とはいえ、ソフトな語り口で主婦から絶大な支持があった山本さんを放っておくわけがない。大手芸能プロなどから「フリーにならないか」との誘いがひっきりなしにあったが、山本さんは頑なに拒否し続けた。

 それほどTBSへ忠誠心を持ち続けた理由は、ラジオ東京時代にあるという。

 後年は芸能関係のイメージが強い山本さんだが、ラジオ時代はスポーツアナとして野球などの実況を担当していた。
 同関係者は「そのころ、山本さんが大失敗したことがある。野球中継の時、スポンサーの企業名をずっと間違えて言い続けて、スポンサーが『CMの料金を払わない』とカンカンになったんです」と明かす。

 スポンサーに頭の上がらない放送局にとってはあってはならない失敗。「処分を受ける可能性もあったが、当時の上司は理解があり、ほとんどおとがめなしで済んだ。そのことにずっと恩義を感じていた山本さんは『絶対に裏切れない』とあらゆる誘いを断り、定年までTBSの社員として勤め上げた」(同)

 94年に定年となりフリーとなったが、その後もしばらくは専属契約を結んでTBS以外には出演しなかった。
「『モーニングEye』には96年まで出演したが、専属契約だから相場よりはかなり低いギャラだった。よっぽどTBSが好きだったんでしょう」(芸能プロ関係者)

 ただその後、山本さんが驚いたことがあったとか。

「TBSの後輩、久米宏さんがテレ朝の『ニュースステーション』に出ていたころに『年間で何億円ももらっていた』と聞いてあぜんとしていた。『オレも早くフリーになればよかった』と笑っていた。もちろんこれは冗談。おカネには無頓着な人でしたから」(同)

 2008年に31歳年下の由美子夫人と再婚した時には、一部の心ない人たちから「遺産目当ての結婚?」などとも言われたが、「ずっと会社員だったのに、残せる遺産なんてない」と苦笑していたという。いかにも山本さんらしいエピソードだ。