松村和子「一番の思い出は北朝鮮で歌った『帰ってこいよ』」

2014年01月08日 16時00分

茶目っ気たっぷりな表情で答える松村和子

 1980年の大ヒット曲「帰ってこいよ」で知られる歌手・松村和子(51)が、新曲「ひぐらしの宿」発売を前に本紙インタビューに答えた。新曲の話はもちろん、「帰ってこいよ」の秘話、90年代後半から出演していた「ものまね王座決定戦」(フジテレビ系)の裏話など、30年を超える歌手生活のすべてを赤裸々に告白。

 ――「ひぐらしの宿」のリリースが15日。歌手人生で初めて“不倫”について歌っている

 松村:とうとう来たか、そこにたどり着いたかという感じです。もちろん私もそれなりに経験あるし(笑い)、自分なりに解釈しながら、想像しながら歌ってはいる。切ないですよね。一昨年から次(の新曲)はこの歌ということが決まっていました。

 ――じゃあ、もうバッチリと歌い込んでいる?

 松村:(CDを作る作業の中でまず)仮歌というのがありまして。その仮歌の時に、バンドの音に合わせて一緒に歌ってみました。それから本番のレコーディングで歌ったのですが、「この前の方がいいよ」ということになって。私は納得いかないのですが、あんまり歌い込まない方がいいタイプみたいなので。だいたい今までそのパターンでしたから。

 ――「帰ってこいよ」の時も?

 松村:ほとんど先生のレッスンもなく、「さぁ歌ってみよう」で歌ってOKみたいな感じでした。17歳なので「こんなもんでいいのか、芸能界」って。ただその時も納得いかなくて、やり直したくてしようがなかった。最近ある時、デビュー当時の歌を聴いたんですね。そしたらすっごい素晴らしくて。あんなに嫌だと思ったのが、いま聴くと完璧でした。

 ――「帰ってこいよ」、松村和子のトレードマークといえば津軽三味線

 松村:2年くらい練習はしていたんだけど、バリバリ弾くという段階ではなかった。決められたらやるしかないので、「帰ってこいよ」だけ練習して。みんなにすごい弾けそうに思われて、今まできました。三味線は私の中で楽器ではなくアクセサリーの一部のような感覚になっている。

 ――90年代には「ものまね王座決定戦」で優勝するなど、違った一面も見せた

 松村:私たちがデビューした時は歌手の方がモノマネ番組やってた。ただ私は最初からモノマネはできないと言ってたけど、「待てよ、野口五郎さんが審査員だわ」と思って。私は五郎さんの大ファンでファンクラブに入ってたし、自分がデビューした後もライブに行っていた。それまで何度もお仕事したことはあったけど、五郎さんに会えるし、「1人は無理」と言ったら、工藤兄弟と大石まどかちゃんの4人でということになった。それならできる、やってみようかなって。

 ――これまでの歌手生活で一番の思い出は?

 松村:海外の公演をすごいさせていただいた。歌は言葉がいらないというか、ボーダーを越えるものなんだなと。ロサンゼルス、ハワイ、サンパウロ、そして北朝鮮。拉致問題で大騒動になるちょっと前の95年(注・アントニオ猪木が取り仕切った「平和の祭典」)に参加したんですよ。歌では私と(河内家)菊水丸さん。拉致問題の前。未知との遭遇って感じでしたね。歌う時は全部歌詞をチェックされました。私のは通った。後々(拉致問題が発覚して北朝鮮の立場としては)良かったのかな?と思いました。だって「帰ってこいよ」だよって。

☆まつむら・かずこ=1962年3月23日生まれ、北海道出身。80年のデビュー曲「帰ってこいよ」が大ヒットし、日本レコード大賞新人賞など数々の賞を受賞。翌年末にはNHK紅白歌合戦にも出場した。22日には後輩歌手・出光仁美(29)とともに「吉祥寺STAR PINE’S CAFE」でライブを行う。