新藤監督 愛菜ちゃんで幻の50作目

2012年06月03日 18時00分

 国内最高齢の現役映画監督・新藤兼人さんが老衰のため東京・赤坂の自宅で亡くなっていたことが分かり、映画界は大きな悲しみに包まれた。100歳だった。

 

 遺作となった生涯49作目の「一枚のハガキ」(昨夏公開)について、新藤監督はかねて「これが最後の映画だと思って撮りました」などと語っていたが、同作で監督賞を取った第54回ブルーリボン賞の授賞式(今年2月)では、その前言を撤回。新人賞の人気子役・芦田愛菜(7)と壇上で絡んだ際、愛菜ちゃんを起用し50作目を撮る色気をみせた。

 

 新藤作品への出演を愛菜ちゃんからおねだりされ、「あと2年もたつと私が座り、彼女の熱演にビックリすることでしょう。これから頑張って、98歳(撮影当時の年齢)の私を蹴っ飛ばして、『こんな監督か』と言って笑うくらいになってください」などと答えた。

 

 一昨年4月下旬にクランクインした「一枚のハガキ」は、2か月かけて撮影された。その間、新藤監督の仕事ぶりを見続けたあるベテラン映画スタッフは、当時のブログで「私にとって、今までご一緒させてもらったどの監督たちよりも勉強になりました」と振り返り、こうつづっている。

 

「必要な演技を必要なカットで撮影する。当たり前のようですが、なかなかできる人はいません。(中略)どのように演出して、どのように撮影して、どのように編集するか。それが撮影する前から決まっているから無駄がありません」。ただ「次回作があるのなら、ぜひ、参加したい」というこのスタッフの希望はかなわなかった。

 

 新藤監督は松竹を退社し、1950年に独立プロ「近代映画協会」を設立。それ以来60年以上にわたり、インディペンデント映画を作り続けた。独立プロは大手と違い豊富な資金などはない。常に「失敗したら潰れる」という思いを持って撮影に挑んでいたという。「大監督と呼ばれるようになっても、経済的には常に苦しんでいた」(配給会社関係者)

 

 最後の作品となった昨年公開の「一枚のハガキ」でもは新藤監督はこう語っていた。
「近代映画協会もこの映画がヒットしなかったら潰れていた。独立プロはカネがないからね」

 

 冗談のように話したが、実は本音。「この3年前に撮った映画の客入りがイマイチで、配給した会社が潰れてしまったんです。それで『一枚のハガキ』には会社の命運がかかっていた」(同)。そんな思いをしても「撮りたいものを撮る」という信念で、独立プロにこだわった。「広島出身で反戦、反核をずっと主張した。もちろん脱原発も唱えていた」(同)

 

 また映画記者など批評家にも「ダメな映画はダメと言うべき」と主張していた。「日本の映画界はメディアと映画会社の癒着がひどくて、まともな批判すらできない。そんな現状を嘆いていたんです」(同)。こんな新藤監督を慕った俳優も数多く、最近は豊川悦司や大竹しのぶなどが必ず参加していた。