氏神一番が明かす裕也さんの超人的行動力と深い愛情

2019年04月02日 14時00分

氏神一番(左)と故内田裕也さん(本人提供)

 ロック魂を貫き、破天荒な生きざまで鮮烈な印象を残した日本ロック界の父・内田裕也さん(享年79)が、3月17日に肺炎のため亡くなった。お別れの会「内田裕也 Rock’n Roll葬」(3日、東京・青山葬儀所)を前に、裕也ファミリーの一員だった「カブキロックス」の氏神一番(59)が、故人への思いを激白した。

【氏神一番の激白】出会いは1994年のクリスマスイブだった。拙者が数寄屋橋交差点で信号待ちをしていると、バラの花束を手にしたタキシード姿の裕也さんが目に入った。何かのロケかと見渡したものの、カメラはない。映画の一場面のような格好良さにシビレながら、ロック界の端くれに生きる者としてあいさつさせてもらった。

 すると「みそ煮好きか」と尋ねられた。裕也さんのしゃがれ声と師走の街の喧騒が入り交じり、うまく聞き取れなかった。違和感を感じつつ、先輩にうどんだか、トンカツの名店に連れて行ってもらえるのかと思い「ハイ!」と答えた。その場で裕也さんがどこかへ電話されている。混雑するイブなので予約の電話かなと思った。だが、全ては拙者の聞き違いだった。

 裕也さんは「みそか空いてるか」とおっしゃったのだった。1週間後、訳の分からぬままに、拙者らは当時、浅草のロック座で行われた「ニューイヤーズ・ワールド・ロックフェスティバル」(NYWRF)の舞台に立たせてもらうことになる。

 夜中までステージをやり、安岡力也さん、ジョー山中さん、桑名正博さんら先輩とおでん屋で打ち上げ。そこから裕也さんが「行くぞ!」と声をかけて、全員で浅草寺に初詣に出かけた。裕也さんを中心にGメン75みたいに1列に広がってさい銭を投げ、朝7時に解散。充実した年越しに満足し、帰って眠りについた。

 昼に起きて眠い目をこすりながらワイドショーをつけると、ハワイに到着した芸能人にリポーターがマイクを向けるという新年恒例の光景が放送されていた。だが、画面を見て目が点になった。なんと、朝に別れたばかりの裕也さんがハワイでカメラに向かって「ロックンロール!」とアピールされていたのだ。

 裕也さんは「コミック雑誌なんかいらない!」という映画を製作されたが、バイタリティー、行動力は超人的で漫画を超えていた。8年前の東日本大震災でも、いち早く支援に動かれて宮城県石巻市に入り「ロック」にちなんで、バナナ6900本、みかん6900個を差し入れて「石巻は英語でロックンロールだから縁を感じる」とおっしゃっていた。シャレが分かる粋な方でもあった。

 シャレといえば思い出す場面がある。1995年当時、レコード大賞はNYWRFと同じ大みそかに行われていた。大賞はミスチルが受賞したが、楽屋で裕也さんが「おい、誰が取ったんだ」と尋ねられて、誰かが「Mr.Childrenです」と答えると「子供が取ったのか」とおっしゃった。

 楽屋は一瞬、時が止まったかのように無音になり、拙者は緊張で心臓がギュッと締め付けられた。ギャグなのかと思ったが、先輩方がピクリともされないので笑うに笑えない。ほどなく、桑名さんが「新顔のバンドでして…」などと説明されていた。

 裕也さんはご存じないフリをされていたが、うじきつよしさんの「KODOMO BAND」を踏まえたギャグのような気もする。横山やすしさんのように、時に冗談とも本気ともつかないような言動があり、そうした一面がとてもチャーミングだった。

 逮捕歴があり、悪く言う人もいる。昔は本当にキレて怒っていらしたので、とがったイメージもある。でも、ここ最近はカメラが回っているところでしかキレた姿を見なかった。OKが出たら「悪かったな、ヨロシク!」と、律儀にスタッフに声をかけられる。「ロッカー 内田裕也」としてキレる芸風を守っていらしただけで、実際はとても優しい方だった。

 といっても、現代風の露骨な優しさではない。シャイで口数は少なく、面と向かって褒められたことはほぼない。でも、ファミリーのステージをくまなくチェックし「氏神は新しい衣装を揃えて、新たな方向性を出すべく努力していたな」など、ボソッとつぶやかれる。普通の人では気づかないような細かいところまで、一人ひとりを見てくださっており、深い愛情を感じた。

 25年間の付き合いで、言葉を交わせたのは合計5分か10分にすぎないだろう。たけしさんと似ているのかな。お付きの人が何人もいて、直接話せる機会は少ない。言葉より心で、生きざまや背中で人を動かす力がある。

 拙者は早くに父親を亡くした。いかにも無骨な昭和の男で、口数は少なかった。親子の会話をした記憶すらほぼない。偶然にも父の命日と裕也さんの誕生日は同じ。だから、どこか似た雰囲気のある裕也さんと父を勝手に重ねてしまっていた。

 不思議な縁もあった。拙者は伝説のカルトドラマといわれる「お玉・幸造夫婦です」(94年=日本テレビ系、久世光彦演出)で、モックンこと本木雅弘(53)君の兄弟役を演じたことがある。

 その後、実際に彼が裕也さんの義理の息子になった。モックンには、家に招かれるなどプライベートでも親しくさせてもらったので、拙者もまた裕也さんの“息子”だと、これまた勝手に感じていた。ちなみに久世さんと希林さんの間には浅からぬ縁があり、そういう意味でも実に味わい深い。

 ところで、拙者のいるカブキロックスは89年、オーディション番組「イカ天」で、(かつて裕也さんが発掘し久世さんが重用した)沢田研二さんの名曲をアレンジした「お江戸」を披露し、ブレークできた。でも、ブームというのは嵐のように訪れて、あっという間に去っていくものでもある。

 裕也さんに「お前らはロックじゃない!」と否定され、一流の先輩方が集うNYWRFで、もまれたことで、改めて音楽と真剣に向き合い、ロックミュージシャンの仲間入りをさせてもらえた。“コミックバンド”扱いされずに、何とかやってこられたのは、裕也さんのおかげにほかならない。

 最後にお礼を言いたかった。「おやじ、ありがとう!」と。天国でジョーさん、安岡さん、桑名さんとセッションされる姿を目に浮かべつつ、ご冥福を心からお祈りしています。裕也ファミリーの名に恥じないよう、拙者もロック道を精進します。

 今年デビュー30周年を迎える氏神一番は5日にアルバム「NationalisM」を発売。24日にはデビュー30周年記念ライブを渋谷のLa.mamaで行う。