昨年8月に日本ボクシング連盟の会長を辞任した山根明氏(79)が、本紙のインタビューに応じた。山根氏は先日、初の自叙伝「男 山根『無冠の帝王』半生記」(双葉社)を発売したが、同書の帯を担当したのがビートたけし本紙客員編集長(72)だった。山根氏は感謝の言葉を述べるとともに、たけしに明かした“初体験”の話が間違っていたと告白。さらに昨年の騒動で流された「山根氏はボクシングをやったことがない」との噂や、有名になった“奈良判定”についてあらためて反論した。

 山根氏はたけしが審査委員長を務める本社制定の「第28回東京スポーツ映画大賞」と同時表彰の「第19回ビートたけしのエンターテインメント賞」話題賞を受賞した。今回の自叙伝の帯はたけしが担当。「ただの面白いオヤジじゃないね。生きるアウトレイジだよ!」と記した。

 山根氏は「僕も驚いとるんです。言葉で表せないほど感動しましたよ。たけしさんという方は、人に対しての愛情がすごい」と感謝した。

 自叙伝は「全部さらけ出すつもりで書いた」との言葉通り、初体験の年齢も告白。昨年、たけしとテレビ東京の番組で対談した際、初体験の年齢を「13歳」と言ったが、先月行われた東スポ映画大賞授賞式で、たけしは「山根さんから電話があって『本当は12歳の時でした』と言われた」と明かした。ところが自叙伝のためにあらためて記憶を思い返したところ、実は11歳だったという。

「最初、たけしさんに13歳と言って、その後12歳に直したけど、実際は2歳も違っていた」

 その様子も同書で告白。友人宅で眠ってしまったところ、20歳過ぎの友人の姉が上に乗っかってきて、ワケが分からぬまま終わったという。「そんなもん、11歳ですからね。何も分かりません。ただ、女性ってすごいですね(笑い)」

 また昨年の騒動の渦中、「山根氏はボクシングをやったことがない」との噂も流されたが、実際にはプロボクサーとして5試合行い、4勝1敗の戦績を残しているという。

「最後の試合が大きなタイトル戦の前座でね。一番前の席に力道山が座ってた。リングに上がって初めて気付いて、大ファンだったからリング上から話しかけたんです。そしたらセコンドが親父だったんですけど、コーナーに戻されてビンタされた。『貴様、試合するのにどこに行ってんだ!』って」

 山根氏は昨年、連盟に関係した疑惑を内部告発され大騒動となったが、「何も問題になることはない」とあらためて主張。12項目にわたる不正の告発状が出されているが、「唯一、成松大介選手への助成金を3等分して不正流用したことだけは当時から認めている。でもあれも悪気はなく、頑張っている2人の選手に助成金を渡したくて成松選手に相談したら、快く受け入れてくれた。助成金の分配がダメなことと知らなかったのは僕が悪いけど、JOCには『申し訳なかった』という書類も入れてますから」。

 また“奈良判定”という言葉も有名になったが、「問題になった試合がテレビで何回も流れたけど、3ラウンド目しか流さない。放送しないのは、1ラウンドと2ラウンドは奈良の選手が勝ってるからですよ!」。

 山根氏は「世界と戦うには政治的な駆け引きが必要。それができるのは僕だけ」と言う。「連盟の役員は、己自身がそれをできないことを知ってる。みんな『山根は、選手のために海外で大変なことをやってきた』と知ってるのにそれを認めないのは、己自身ができないから」

 1998年にタイで行われたアジア競技大会で監督を務めた際には、何と背後から銃で発砲されたこともあるという。幸い当たらなかったが、「アマの試合でも、タイはギャンブルの対象だから観客も熱くなる。それでも私は選手を守らなきゃならないんです!」と力説した。

 日本ボクシング連盟は2月10日、山根氏を除名処分にすることを決めたが、これについては「バカですよ!」と一蹴。「辞任してるのに除名するということは、全国に『いまの連盟に逆らうと怖いんだよ』と脅してるようなもの」とあらためて怒りを爆発させた。