内田裕也さん79歳で幕を閉じた“破天荒”ロックンロール人生

2019年03月19日 11時00分

死去した内田裕也さん

 生涯ロックンローラーが旅立った。ロック歌手で俳優としても活躍した内田裕也さんが17日午前5時33分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。18日、所属事務所が発表した。79歳だった。1959年に日劇「ウエスタン・カーニバル」出演を果たして以降、日本のロックシーンをけん引。東京都知事選出馬や逮捕など芸能活動以外でも騒動が絶えず、女優樹木希林さんとの数十年にわたる特異な結婚生活も話題を呼んだ。昨年9月に樹木さんを失い憔悴した姿を見せてから約半年。ロックンロール魂を貫いた内田さんは、愛妻を追うように人生の幕を閉じた。

 内田さんは入院先の病院で息をひきとった。18日付のスポーツニッポンによると、長女で俳優の本木雅弘の妻である内田也哉子らが遺体に寄り添っていたという。

 内田さんは昨年9月、希林さんが75歳で死去した後、憔悴した姿が心配された。10月に映画イベントに登場して元気を取り戻した様子も見せたが、今年は動静が途絶えていた。本人ツイッターの投稿は同月18日、公演ドタキャン騒動を起こした歌手の沢田研二について「ファンの皆さん、応援よろしく! 沢田、ガンバレ!」とつぶやいたのが最後となっている。

 公式ホームページによると、1939年に兵庫県で生まれた内田さんは56年、エルビス・プレスリーに憧れ、高校を退学して夜間高校に転校。音楽で生きることを決意してバンドボーイを始め、57年に佐川ミツオと「ブルー・キャップス」を結成する。58年には「ブルージーン・バップス」を結成して59年に音楽フェスティバルの日劇「ウエスタン・カーニバル」出演を果たし、本格的なデビューを遂げた。

 以後、数々のバンドに関わり、66年にはビートルズ来日公演(日本武道館)で前座を務める。73年に女優の悠木千帆(後に樹木希林に改名)と結婚。この年大みそかから元日にかけて行ったオールナイトコンサートは、現在も続く「ニュー・イヤーズ・ワールド・ロック・フェスティバル」の第1回だった。

 ロックンローラーとして一世を風靡する一方、80年代から映画出演が活発に。とりわけ、ビートたけしや宮沢りえと共演した「エロティックな関係」(92年)は話題を呼び、脚本にも携わった同作は93年の第2回東京スポーツ映画大賞で作品賞に輝いた。欠席と予想されていた授賞式に敢然と“参戦”し、たけしを驚かせた。

 91年には鈴木俊一氏が再選された東京都知事選挙に殴り込みしたが、約5万5000票の得票にとどまった。「ロックファンの度肝を抜いた」と言われたこの出馬については、「行動派として尊敬していたアントニオ猪木氏が突然出馬を取りやめたことがきっかけ。ロッカーとしてのパワーを示すつもり」と当時、全国紙の取材に対して語っている。

 私生活でも驚きを呼んだ。希林さんとは1年半あまりで別居し、離婚騒動も起こったが別居状態が続き「奇妙な夫婦関係」と評された。77年に大麻取締法違反容疑で逮捕され、2011年には交際していた女性を脅して復縁を迫ったとして強要未遂と住居侵入の疑いで逮捕された。いずれも不起訴処分だったが、お騒がせのイメージも強まった。

 映画出演は近年まで続き、昨年1月に公開された「星くず兄弟の新たな伝説」には「ロックの神様」役で出演し、東スポ映画大賞の助演男優賞にノミネート。東スポ映画大賞とは縁が深く、希林さんが助演女優賞、本木が主演男優賞に輝いた09年の授賞式に際しては、2人に「東スポ(映画大賞)は欠席するなよ! 他のは欠席してもしょうがないけど…。本木もな、オスカーもらったからって(本木出演の『おくりびと』がアカデミー賞外国語映画賞)東スポは欠席するな」とメッセージを送ったことを希林さんが明かしていた。

 まさに“破天荒”という言葉を絵に描いたような人生。決め文句「よろしくロッケンロール」は天国で叫ぶ。

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