死去・笑福亭松之助さんとさんま師弟秘話 独特だったふたりの関係

2019年02月23日 16時30分

14年3月の六代目桂文枝(左)の襲名披露公演には松之助さん(中)、さんまが駆け付けた

 上方落語界の最長老で、タレント・明石家さんま(63)の師匠として知られる落語家・笑福亭松之助さん(本名・明石徳三)が22日、老衰のため、入院先の兵庫・西宮市の病院で死去した。93歳だった。さんまが日本一のタレントに成長したのは、松之助さんの指導のおかげだと言われている。その関係は、厳しいことで知られる落語家の師弟関係とはかけ離れた、独特のものだったという――。

 松之助さんは兵庫県神戸市出身。1948年、五代目笑福亭松鶴に入門。落語だけでなく、宝塚新芸座の座員となり喜劇役者としても活動。吉本新喜劇にも参加し、「明石光司」の名前で脚本も書いた。俳優として、映画「岸和田少年愚連隊」や「パッチギ!」、NHK連続テレビ小説「ほんまもん」「まんてん」などで活躍した。

 高齢になってもマスターズ水泳で優勝するほど健康で、2016年には自らの半生をつづった著書「草や木のように生きられたら」を出版した。

 何よりも有名なのが、さんまとの師弟関係だ。「落語家の師弟といえば、厳しくて当たり前。当時は特に、いま以上理不尽に怒られるのが当然だが、松之助さんはさんまさんをノビノビと育てた」(演芸関係者)

 弟子入りする際にも、松之助さんが「なんで僕を選んだんや?」と聞いたところ、さんまは「師匠、センスありますから」。普通なら怒って当然だが、松之助さんは怒ることなく「褒めていただいてありがとう」と応じたという。

 修業時代、さんまは松之助さんの家に住み込んでいたが、「当時から要領が良かったさんまさんは、師匠が仕事に出かけると、また布団に入って二度寝していたそうです。しかも松之助さんも息子さんに聞いて、そのことを知っていたが、知らないふりをして怒らなかった」(同)。

 ただある時、仕事に出た松之助さんが忘れ物をして家に戻らなくてはならないことがあったとか。「その時は、寝ているさんまさんが気付くように、わざと大声を出して帰ったそうです。後に松之助さんは『修業時代も、ワシの方が気を使ってたんちゃうか?』と笑ってました」

 さんまは入門後、しばらくは落語家として活動していた。当初は「笑福亭さんま」という芸名だったが、落語家よりもタレントとしての才能があることを見抜いた松之助さんは、「笑福亭」を返上させ、代わりに自分の本名である明石から「明石家」と名付けた。

「その方がタレントとして活動しやすいという親心ですが、一方で落語に対して厳しい面もあり、『落語をやらないなら、“笑福亭”を名乗らせるわけにはいかない』という思いもあったようだ」(テレビ局関係者)

 また入門後間もなく、落語家としては活動しなくなったさんまだが、師弟関係は続いた。

「落語家の噺を直接教えることはなくなったが、テレビに出るさんまさんを見て気付いたことを松之助さんは手紙にしたため、定期的に送っていた。さんまさんはその手紙を何度も読み返し、『これは宝物』と言って大事に持っていたそうです」(同)

 こういった松之助さんの指導で育ったさんまが、名実ともに日本一のタレントに成長したのは周知の通り。今年の「第28回東京スポーツ映画大賞」では、同時表彰の「第19回ビートたけしのエンターテインメント賞」の日本芸能大賞に選ばれた。

 ビートたけし審査委員長も「東スポ映画大賞も今回が平成最後になるし、平成を盛り上げた芸人を表彰したいな。そうなるとやっぱり、明石家さんまだろ」と絶賛している。

 所属の吉本興業によると、松之助さんの葬儀は近親者のみの家族葬で執り行われ、後日、お別れ会を開く予定だという。