杉紀彦さん偲ぶ会 鳥羽一郎しんみり「自分が一番叱られた」

2019年02月07日 21時57分

杉紀彦さんとの思い出を語った鳥羽。左は小林幸子

 昨年12月17日に肺炎のため80歳で亡くなった、放送作家で作詞家の杉紀彦(すぎ・のりひこ、本名・杉野明夫)さんを偲ぶ会が7日、都内で営まれた。

 杉さんは、作詞家として森昌子の「なみだの桟橋」、菅原洋一・シルビアの「アマン」、美空ひばり「海にむかう母」、石原裕次郎「昭和たずねびと」など400曲以上を手がけた一方、NHKラジオ「はつらつスタジオ 505」と後続の「きらめき歌謡ライブ」の構成を合わせて33年間担当。ラジオ日本で「杉紀彦のラジオ村」のパーソナリティーを25年間務めた。

 偲ぶ会には、演歌歌手の小林幸子、鳥羽一郎、橋幸夫、由紀さおり、作曲家の服部克久氏ら300人が参列した。

 発起人でもある小林は、新宿コマ劇場の舞台を杉さんに構成・演出を担当してもらって以来、約35年の付き合いになるという。

 小林は「最後に会ったのが昨年5月後半。一緒にご飯を食べて『さっちゃん、俺、いつまで生きられるのか分からない。でも、全て受け入れているから怖くない』と話していた」と振り返った。

 杉さんはそれまで小林に曲を提供したことはなったが、その際に「さっちゃんには俺の最後の曲でなく、その1曲前を作るよ」と約束。小林は「亡くなるなんてサラサラ思っていなかったから、そういうふうに言ったと思う」としのんだ。

 また、同じく発起人の一人である鳥羽は、「親しみを込めて『鳥羽ちん』と呼んでくださったけど、一番叱られた歌い手が自分だった」。構成作家の杉さんが書いた台本を鳥羽は読まなかったことがあったという。

 鳥羽は「台本のセリフ通りに自分が言わないと『鳥羽ちんさぁ、せっかくお前のために台本を書いたんだよ。ちゃんと読んだ方がいいよ』と。叱られるより、注意みたいな感じだった。最後は諦めて、自分のしゃべるところに『自由に』と書いてあった。どうせ書いても(台本通りに)しゃべらないと思ったんでしょうね」と懐かしそうに話した。