タブーに挑戦し続けた月刊誌「噂の真相」の名物編集長だった岡留安則さん(享年71)が肺がんで亡くなったことを受け、作家の中平まみ氏(65)が緊急寄稿した。中平氏は名映画監督・中平康さんの愛娘で“お嬢さん”育ち。27歳で文藝賞を受賞し作家デビューし、すぐに売れっ子となった時、岡留さんと知り合った…。

「岡留さんの結婚相手は私か小柳ルミ子しかいないわよッ」と言ったのは彼が暴漢に刺された直後、ちょうど電話した時だった。力づけたいので愛聴盤「スーダラ伝説」とお気に入りの写真集「LOVERS ONLY」など、最上最良と思った品々を即刻お見舞いに贈った――。

 今回、訃報を知らされ、またしても大事な大切な存在に逝かれてしまったと…。

 デビュー後すぐ「噂の真相」から執筆依頼があり、初めて逢ったのが銀座ワシントン靴店(当初は全館ワシントン)のサロン・ド・ワシントン(優雅な喫茶室)。ウソつきドケチ肝っ玉極小男ばっかりの中で、最も気前良く男気あり度量広い男性(何回もほしい物をふるまわれた)。小説家HM子が「週刊文春」見開き2ページに、私の悪口罵詈雑言を連ねた時は「冷静反論返答」を載せてくれ「岡留と中平は怪しい」と写真週刊誌が彼の部屋を張っていた。「アノ女はお嬢さんだからなあ」と周囲には語っていたらしいが「最初の男が悪かったんじゃないの」は的を射ていよう。

 徳田虎雄から出馬依頼され、「犬の不殺生!」を訴えるため、2001年の参院選に出た折りは(作家たちは「仕事がなくなる」と逃げた中、唯一、志茂田景樹王子のみ応援)、右翼と死闘を繰り広げていた私と当のそいつから毎日電話に「もう! 2人とも○○○○だっ 頭がオカシクなっちゃう」と、さしものさすがの彼もずいぶん…。いろいろ助けてもらいおごろうと、今はなき至近のフレンチレストラン、シェ・パルメに誘ったが「かわいそうで払わせられない」と(一度も払わせず)。“わたしにゃいつも いい人だった”という松尾和子「再会」の一節が私の心情に一番ピッタリくる。(作家)