南米大陸最高峰アコンカグア(6959メートル、アルゼンチンのチリ国境付近)への登頂とスキー滑降を目指していた、冒険家でプロスキーヤーの三浦雄一郎氏(86)が20日(日本時間21日未明)、挑戦を断念し下山を始めた。三浦氏の所属事務所が明らかにした。標高6000メートル地点で山頂アタックに備えていたが、さらなる標高での登山活動はリスクがあるとして帯同医師がストップ。元気満々だった本人もこれを受け入れ、アコンカグアからのスキー再現の夢はならなかった。

 三浦氏が所属する「ミウラ・ドルフィンズ」は日本時間21日、報道各社への連絡で「ほんの数時間前の電話で本人は『絶好調』と申しており、登る気いっぱいでありました。元気であることには変わりはありませんので、中止となり一番残念なのは本人であると思います」と説明した。

 三浦氏は息子で元五輪スキー(フリースタイル・モーグル)代表の豪太氏(49)らと隊を組み、2日に日本を出発。現地時間18日、アコンカグア山頂を目指してキャンプ地プラサ・コレラ(6000メートル)に到着した。途中、三浦氏のみベースキャンプ(4200メートル)から5580メートル地点までヘリコプターで移動。体力を温存して早ければ21日の登頂に備えたが、天候待ちのためプラサ・コレラに2日間の滞在を強いられた。

 この間、6000メートルでの長時間にわたる生活が86歳にとって肉体的、生理的に負担がかかってきているとされ、ドクターストップがかかった。これ以上高い標高での登山活動は心不全を起こす危険性があったという。三浦氏は非常に前向きで、自覚としては登れると感じていたが、信頼する医師の判断に従った。

 帯同した大城和恵医師は、三浦氏が2013年に当時80歳の史上最高齢でエベレスト登頂を果たした時にも三浦隊に加わっていた。日本人初の国際山岳医で、昨年には自身もエベレストに登頂している。

 ミウラ・ドルフィンズに寄せた電話コメントで大城氏は「よくここまでこの肉体と年齢で頑張ったと思います。ただこの標高はもう生物学的に86歳の限界です。生きて帰るために今日下りる、この判断をいたしました。ここまで本当によく頑張られたと思います。それだけでも素晴らしい記録だと思います」と三浦氏の挑戦をたたえた。

 電話コメントで三浦氏は「自分ではまだまだ行けるつもりでいたが、大城先生の判断に従い、今回の遠征は自分としてはここで終わる。僕自身、大丈夫だと、頂上まで行けるという自信はありましたけれど、やはり周りでみての状況、特に大城先生の判断ということで、それに従うということにしました」と。この2日間の様子を見ていた豪太氏も「この標高での生活がかなり肉体的、そして精神的に厳しいとみました」と語った。

 80歳でのエベレスト登頂後、昨秋に8201メートルのチョ・オユー(中国、ネパール)の登頂とスキーを目標に掲げていた三浦氏だが、現地の登山組織から年齢制限(75歳以上は不可)を理由に登れないことを知らされ、断念。1985年に前人未到の「世界7大陸最高峰からのスキー滑降」を遂げた最後の山であるアコンカグアに挑戦を切り替えた。

 これまでの冒険家人生の過程で、生活習慣病によるメタボ、不整脈や高血圧、骨折など、数々の障害を克服してきた三浦氏。ミウラ・ドルフィンズでは「このような形で今回の遠征を終えることは残念ではありますが、また次の挑戦に向けて、生きて帰るために下山いたします」とコメント。本人は「90歳で再びエベレスト」も公言しているだけに、勇気ある撤退で山を下りた。